花束の代わりに

SixTONESの姫は京本大我、という意見を少なくない頻度で見かける。私はそれが許せない京本担である。

いわゆる「姫ポジ」とは、メンバーに甘やかされていて、何をやっても許されるポジションのことをいう。私見だが、その扱いに無頓着である傾向も強い印象がある。愛されることにてらいがなく、メンバーからの愛を疑いもしない。本人もメンバーもただ普通にしているだけなのに、なぜか世間的には過保護になってしまう、みたいな。全部偏見ですが。

実際、スト5は京本さんの奇行や暴挙に大人しく従いがちだけど、それは姫を甘やかすそれとはちょっと違う気がする。そもそも違う時空で行われていることだから介入しようがないだけなのではないだろうか。一人っ子の彼が人生をかけて築きあげている世界はいろんな意味で計り知れない。きっと、他者の侵入を許すような空間ではないのだろうと邪推する。京本大我オールナイトニッポンにおいて、田中樹がほとんど無視されていることを思い出す。彼だけの世界はきっと混沌としていて、彼だけがそこにあるものを享受できるのである。そういう世界であることをよく知っているからこそ、そこに踏み入ることはせずに見守るのが彼らなりの愛し方であり、扱い方であり、接し方なのではないだろうか。

対照的なのが松村北斗さんであるように思う。北斗くんの世界は他者を必要としている気がする。他者の視点が前提となった世界を持つ人。それは他者の干渉を許すということではなくて、北斗くんの世界には対象がちゃんとあるような気がするのだ。相手が想定されている世界。だから、振りでもいいから聞いてほしいというスタンスになるのではないかと思う。私はそういう解釈で彼を見ているので、私にとってSixTONESの姫は松村北斗さんなのである。そもそも姫という呼称自体にいろいろ疑問もあるんだけど、やっぱり大我さんは姫じゃない。少なくとも私にとっては。

きょもほくの話をもう少し。このふたりは、他者の取り込み方も違うし、自分の保ち方も守り方も違う。お互いリスペクトはあるけど、真似はできないし、ベクトルが全く違うので比べることもできないから相手を超えることも相手に負けることもできない。そんな人たち。

私は、北斗くんの「見え辛さと興味の強さは時に比例する」という言葉がすごく好きだ。大我さんの入所日にブログで綴ったらしい*1この言葉には、彼のあたたかい憧憬が詰まっているように感じる。幼いころに見た背中を追いかけ、上手く接することのできない時代を乗り越えて、この言葉に行き着いて、それをファンに見せてくれた北斗くんのことが愛おしくて、素敵だなと思う。

入所日になにか文章を書こうと思い立ったときに、ぱっと連想したのはこの言葉だった。だからこれは、北斗くんのブログの二次創作みたいなものである。北斗くんの気持ちと自分の気持ちを並べるのが烏滸がましいことは重々承知の上で、やっぱり私はこれが書きたかった。花束を贈れないかわりに、精一杯の言葉を送りたい。この気持ちを、人は愛と呼ぶのだろう。

きょもほくの対比が好きだから姫ポジは逆!と思ってしまうのもあるけれど、結局私は彼が目指す姿はそれではないと思っているから姫呼ばわりが許せないだけなのかもしれない。彼は、生まれたときから色眼鏡で見られる運命で、ジャニーズに所属する道を選びながらミュージカルの世界に飛び込んで、誤解をされ偏見を向けられながらも自分を貫き通してきた強い人。最初からそうではなかったことも教えてくれるくらい強い人。「カッコイイって言われたい」とストレートに話してくれる、強い人。だからカッコイイし、憧れるし、追いかけていて楽しい。大好きなアイドルだからこそ、ずっと輝いていて欲しいと身勝手に願う。助け出される姫じゃなくて道を切り開く勇者だと、言いたくなってしまう。きっと自分の実力をまっすぐ見てもらえないことも多かっただろう人が、17年間守り通してきた自我を何より大事にしたいから。

お祝いブログというにはエゴイスティックでポエミーで話題が混在する文章になってしまったけれど、精一杯の言葉を綴ったので今日のところはこれでよしとする。

入所日おめでとうございますの気持ちを込めて。

*1:私がJohnnys Webに登録したのは6月なので直接目撃できていない。悔しい