わたしの箍

昨今の「推し活」ブームに乗っかって、「推しのために働いてる」「推しのことを考えたら頑張れる」といった言葉を目にする機会が増えた気がする。私は自分のことをオタクだと思っているし、推しがいないと上手く生きていけないタイプの人間だと思っているけれども、推しのために働いてる、わけではない。「推しのために」という言葉にどうしても引っかかりを覚えてしまう。

私は実家住まいの学生なので、アルバイトをしなくても衣食住に困ることはないだろうと思う。じゃあなんでバイトをしているのかというと、それはひとえに趣味のためである。私の趣味は主にアイドルを追いかけることで、今は2次元と3次元それぞれひとグループを追いかけている。好きなアイドルのライブのチケットを手に入れる、ライブやイベントのための服やコスメや靴を買う、雑誌や本を買う、その合間に美味しいランチをする、CDを買う、それらをしまう収納を買う、映画を観る、課金をする。月々もらうお給料はそういうことに消えていく。友達とご飯を食べたり遊んだり、全くしないわけではないが、そもそも大半の友達が何かしらのオタクなので、先程つらつらと書いたようなことに吸収される範囲のものばかりである。でもやっぱり私は推しのためには働いてないし、これから先もそうするつもりはない。

CDとか公式写真、FCに払う「推しに還元されるはずのお金」は優先度が高い。CDを買い足したいなと思ったときにお金に余裕がなかったら、食事代を削るとか、買おうとしていたものを後回しにするとかして捻出する。自分のためだけの出費はそういうとき真っ先に後回しにされる。だけど、別に嫌ではない。高いコスメを買ったときより、CDを複数枚買ったときの方が清々しい。それはその数枚が自分の意思表示で、できることをやったという達成感があるからなのだと思う。推しのためではなく、自分のため。でも、これを「推しのため」と表現する人がいることも、わからないではない。

家族のために働いているという人がいる。今の私にはそれは足枷にしか感じられないけれど、もしかしたらこういうことなのかもしれないと思う。大切にしたい、できることはなるべくしてあげたいと思える相手がいるから働くしモノを買うし、声を上げる。自分のためだけに生きるというのは案外難しい。政治も、経済も、エンタメも、全部繋がっていて、それを通じて他者を意識して支えたり支えられたりする。それが社会生活で、人間の営みなんだろうなと思う。

話がとっちらかってきたけど、要するに私は推しに関連するコンテンツにお金を払うことで回り回って自分に手をかけているのである。この社会で生きていくのは私にとってけっこうしんどい。未来は暗いし、嫌なニュースばかりだ。だから、口実が欲しい。朝起きる理由。ちゃんと家に帰る理由。外に出る理由。買い物をする理由。推しを口実にして、私は自分の人生を楽しもうとしているみたいだと思う。直接の原因や対象が推しだとしても、結局それは自分のためなのだ。私が、推しに売れてほしい。私が、この曲を色んな人に聴いてほしい。そういう自分勝手な欲が、楽しい未来に繋がるんだとしたらハッピーだし、この世界も捨てたもんじゃないかもしれないと思える。推しが生きるこの世界が少しでもマシなものになってほしいと思うから、勉強するし投票にも行く。未来の同担が困窮することのないように。世間やファンダムの空気によって嫌な思いをしなくて済むように。私たちは誰しも1人では生きていけない。自己責任だなんだと喚くだけではこの社会は回らない。推しや、家族や、友人を通して他者に思いを馳せることこそが、社会の基盤になるのだろうと思う。

私は幼い頃からファンタジーが好きで、今でもかなり夢見がちなところがある。悪意を持った人がいることも、話してもわかり合えない人がいることも、わかっているつもりで未だに信じたくないと思っている自分がいる。悪意を目の当たりにすると落ち込むし、悪意なく無神経なことを言ってしまう人を見ても疲れる。自分のそういう側面に気がついて、さらに落ち込む。だけど、アイドルを追いかけているときだけは、綺麗事を信じていられるような気がする。

しんどいことがあったとき、推しを見て気を紛らわすことはできても、彼らが私の生活を助けてくれることはない。溜め込んだ課題はそのままだし、お金は増えていないし。何なら時間もお金も持っていかれることばかりである。だけど、際限なく下降していく私の気持ちを、何とか持ち直すきっかけになってくれるのはいつも推したちだ。口実になってくれるとさっき書いたが、私の生活のあらゆる場面で正気にもどる口実やきっかけになってくれる存在のことを、私は推しと呼んでいる。

推しのことは毎日大好きだけど、どんなに嬉しいことがあっても頑張れないことの方が多い。「ライブがあるから頑張ろう」「MV良かったから頑張ろう」と言い聞かせているだけで、ほとんどお祈りみたいな、ルーチンワークみたいなものだ。でもそれでいいのだと思う。私と彼らはどこまでいっても交わらず、重ならない。お互い、自分のために自分の人生を生きているからこそ、他人だからこそ、その繋がりにたしかな希望を見出せる。社会に繋ぎ止めてくれる。近しい他者を手に入れることは、生きるうえで支えになるものだと、実感させてくれる。

アイドリッシュセブン内の楽曲の歌詞を引用したい。

抱えきれない運命 支配するためみんな隣り合うんだね

「Incomplete Ruler」

この曲のサビで、「一つになれなくても 一人ではいられない」というフレーズが繰り返される。アイドルの夢や、未来や功績は私たちのものには決してならないけれど、一方でそれを隣から応援することは決して無意味ではないと思う。一人ではいられない私たちは、社会に生きる私たちは、そうやって生きていくしかないのだから。

推しのためには頑張れないが、自分のためだけにも頑張れない私は、推しを口実にして、自分のためになることをすることで、人生のバランスを保っている。

 

 

 

 

Incomplete Ruler

Incomplete Ruler

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