ゆるされる場所

※「ESCORT」の曲バレ・演出バレがたくさん含まれます!未乗車の方はぜひ乗車後に読んでください※

 

超特急は今ツアー初日の6/10、CDデビュー14周年を迎えた。私が超特急を好きになってから、今年の8月でまる2年。私は超特急のいわゆる新規オタクで、超特急のほとんどの歴史を知らない。知ることができない。そういう立場にいる。

好きになったばかりの頃は、とにかくライブが楽しいからライブに通いたい、と思っていた。それさえあれば十分で、別に過去を知りたいわけじゃない。今の超特急が私にとってはすべてなのだと思っていた。あるいは言い聞かせていたのかもしれない。私はそれまでメンバーが変動する/したことのあるグループを好きになったことがなくて、同じメンバーでやっていくことにこだわる人たちばかりを追いかけてきたという自覚がある。だから、歴史の長さ以上に、超特急の形の推移に怯んだ自分はたしかにいたと、そう思う。

転機はJokerに行ったこと、そしてRe-Boosterとの出会いだった。まず、曲が好き。刺さった。パフォーマンスもめちゃくちゃ良くて、1桁の凛とした佇まいと、ギラギラした2桁の目と、合流したあとの9人の覇気がたまらなかった。2桁が加入する前の曲であることを隠すでも誤魔化すでもなく、9人で魅せる曲に生まれ変わらせている姿を見て、完敗だ、と思った。怯んでいる場合ではない。遡ったらこんな名曲がまだまだ隠れているのかもしれない。過去の超特急のパフォーマンスも知りたい、知ったうえで今の超特急を見たい。そう思うようになった。

まずは超特急募目当てで入手していたProgress、それからGOLDEN EPOCHのたまアリとFantasy Love Train。各時代ひとつずつ、と思ってのラインナップだったと記憶している。詳細な記憶は正直残っていないのだが、とにかくどれもすごかった。

Progressは気合いと愛の、未来のためのライブで、5人の清々しい顔ばかりが脳裏に焼き付いた。凝った演出、というよりは、歌とダンス、超特急ならではのパフォーマンスでの勝負。見慣れている今の体制と比べたら随分少ないんだけど、それでもその形になっても、超特急を完成させてきたのだという誇りを、超特急を走らせ続けてきたというプライドを、ビシバシ感じた。

ゴルエポの冒頭演出には度肝を抜かれたし、それに応える歓声の大きさにもびっくりした。セトリの組み方も、ライブの魅せ方も、思っていたよりずっと変わっていなかった。そして、ユースケさんの眩しさに目を奪われた。好きにならざるを得ない人、姿を見るとつられて笑顔になってしまう人。元気担当は伊達ではない。

FLTは10年以上前のライブだし、当時の超特急はまだ結成から5年と経っていない若いグループだ。ユーキさんが本格的に演出をし始める前だと聞いていたのもあって、観るまではかなり舐めてかかっていた、と思う。でも、これもすごかった。超特急がステージに立ち続けた積み重ねを目の当たりにした気がした。コーイチさんという、とんでもないボーカリストに腰を抜かしていたせいで、あまり細かい記憶は残っていない。

そんな中でも、思っていたより知っている曲が多かった、というのは印象深い。というか、むしろ最近のはずのProgressの方が当時の私が知らない曲が多くて、5人になってあまりやらなくなった曲や、9人になった今歌えるようになった過去の曲があることの重みを、垣間見た。

7人の超特急の魅力を知ってしまって、しばらくは混乱する時期が続いた。9人の超特急が好きなくせに、7人の超特急がドームに立てなかったことが飲み込めなかった。変な話だってわかってるんだけど。どうやったら夢は叶ったのだろう。たらればをいくつ重ねても打開策はひとつも見つからず、ただただ、この展開でなければ9人の超特急は有り得なかった、という現実にたどり着くだけだった。

混乱の中、ユーキさんの写真集と、フォト&ワードブックが発売された。「THE GROWN」はお渡し会で一足先に受け取れたので、3月初旬にはかなり読み込むことができていた、と思う。草村に萌えるのと、スタダコードの力が及ばなかったページを薄目で眺めては動悸を抑えるので忙しかった。良い写真集なので、ぜひ皆さんも読んでください。問題はフォト&ワードブック「RE GROWTH」の方だ。豪華版と銘打たれたそれはとんでもなく重く、分厚く、それぞれのページに小さな文字でびっしりと文字が印刷されており、それ相応の値段がするものだった。諸々にビビりながら注文したそれは3月下旬に届き、そして私の混乱を鎮めた。

言葉を尽くして説明がなされている、というものではなかったけれど、リグロにはユーキさんの覚悟と、選んできたもの、選ばなかったものが重く刻まれていた。この人の見せてくれるものに間違いはないと、ついていけばいいのだと確信することができた。ユーキさんの中には超特急のすべてがあると思った。5推しでいるということは、超特急のすべてを愛することなのだと(非常に勝手に)思ったし、ユーキさんは私が触れるのを躊躇った過去を私から遠いままにしておく気はないのだと思った。上手く説明できないけれど、このとき、私はかなり、大丈夫になった。だからこそ「THE END FOR BEGINNING」を買う覚悟を決めた。買うなら今しかないと思った。

勢いで注文したはいいけど、届くのは4月になってから。一応新社会人となるタイミングだったので全然見る時間が確保できず、VS.超特急の前に鑑賞会をしようと連番するリア友を誘って無理やり時間を捻出した。いつも巻き込んでごめん。土日の間に2回のイベントと合わせて3枚分のライブを見て、さすがに脳疲労でおかしくなるかと思った。しかもVS.超特急のDay1はアレだったし。疲れました。そのあとすぐに徳島でのお渡し会があってバタバタしていたこともあり、全然感想を整理できないまま今に至るのだが、それでもあのライブの鮮烈さはなお褪せることなく、私の中に今も居座っている。

このツアーのすごいところは山ほどあるのだが、シンプルにライブツアーとしての強度が並外れている。4都市5公演中、3公演が丸ごと映像化しており、そのすべてのセットリストが違うツアー。セットリストが違うというか、それぞれがかなり別物のライブである。レボビバもツアー内でガラッと演出とセトリが変わるし、Synchronismもそもそも2パターンあるし、超特急のツアーでセトリがまるっきり変わること自体はそこまで珍しくないと思う。ただ、3パターン、同じくらいの完成度のものを持ってくるというのは、とんでもない気合いなんじゃないかと思った。7人最後のツアーだから?と当初は思ったけれど、それを知っていたのはコーイチさんだけのはずで、じゃあ何がどうなったらこんなツアーができてしまうのだろう。3枚目を見終わったあと、しばらく呆然とした。

THE END FOR BEGINNING、何度でも驚かされるタイトルだ。たぶんこれは楽曲「The End For Beginning」が由来で、この曲の作詞はコーイチさんで、つまりこのタイトルも彼が考えたものではないかと思う。そして私には、これを書いた人が超特急を愛していないとはどうしても思えない。陳腐な言葉しか出てこないけれど、本当に名曲なのだ。しかも、隅から隅まで超特急のことが歌われている曲。何度聴いても心臓がドクドク動いているのを感じる。頭がぐらぐらしているのに、目も耳も冴えて、意識を離すことが許されない。心の柔い部分を削ってつくられた曲なんじゃないかと、そうでなければこんな風に心を揺さぶられることはないんじゃないかと、何度も何度も思う。事実はどうあれ、そう思いたくなってしまうこと自体がこの曲の引力の強さを物語っている。

この曲の作詞者はコーイチさんで、振付はユーキさんが行っている。二人とも、ベクトルは違うけどたぶん言葉が不器用で、歌が、踊りが、ないと生きていけない人。10年後に私がインターネットをウロウロするだけでも、お互いのパフォーマンスを信頼していたことがわかってしまうぐらい、通じ合えて共鳴できる部分があったふたり。コーイチさんが書いた曲から、ユーキさんは言葉以上のものを受け取ったのではないかと邪推する。この曲を引っ提げるに値するツアーを、その根を知らずに完成させてしまった、それがTHE END FOR BEGGING。というのが私の、勝手な解釈です。

脱線が長くなってしまった。とにかく私は、リアルタイムで追うことの代わりにはならないとわかっていながら、好奇心を止められずにここまで過去を漁ってきた。円盤を観て、パンフレットを読んで、MVを見て、夢8動画を見て、スタチャンを見て、音楽ナタリーの記事を読んで、Signalを読み、REC.を眺め、Virgin Expressに八つ裂きにされ……かなり時間を割いてきた。バックステージ系は手付かずのものが大半だし、夢8とスタチャンも正直あんまり見れていない。映像、苦手だから……。その割に、ワンマンステージの上の超特急は、けっこう観たなと思う。あまりに膨大で、記憶が薄れているものも多いけど、自分の観たいものを観たいように観てきたつもりだ。

ところで、私は文章を書くのが好きなオタクだ。近年は特に、意識的になんでも書くようにしていて、インプットしたものの7割くらいは何らかの形で文章として残しているつもりなのだが、過去の超特急についてはその作業を避けてきた。意図的に、というほどでもないけれど、何となく気が引けた。掘り返すとか漁るとかがしっくりくるような、無遠慮な作業だと思ってやっていたから、自然と言葉数が減った。同時に、私はこんなに過去を見ているんです!というアピールのための作業にしたくなかった。過去を知っているという驕りを持ちたくないとも思っていた。

今になって、それを翻してこれを書いているのは、ESCORTがまさに私たちを超特急の過去に誘うツアーだったからだ。これまでもそういう要素は随所にあったと思うけど、ここまであからさまではなかったし、ここまで中心に据えられてもいなかった気がする。ESCORTは、今の8号車全員を、超特急の過去に触れさせること自体がメインテーマのツアーだと思う。

まず、昔の曲がめちゃくちゃ多かった。新たに披露されたのが12曲。前回のREAL?は、日替わりアンコールをカウントして7曲だったことを思うと、相当多いといえるだろう。しかも現体制以降の曲は半分以下で、2022年8月以前の曲の割合がすごく高かった。EVEでも、昔の曲の割合が高くて、初披露のRe-ver.もめちゃくちゃ多かったので、これ自体は初めてではない。ユーキさんも「全曲蘇らせたい」とはっきり言っていたし、せっかく素晴らしい持ち曲がたくさんあるのだから活用しない手はないよね。だけど、今回明確に違ったのは、"これまでの超特急"を連想させる演出がちりばめられていたこと。REAL?でのJokerの再演に近いことを、ずーーっとやっているのがESCORTだった。

ハルくんのソロパフォーマンスのあとの「POKER FACE」、「Spice」で、Jokerだなと思った。「fanfare」で旗が出てきて、Sweetest Battlefieldを連想した。「超ネバギバDANCE」では新世界を思い出したし、「激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームわ〜るど」ではB9を思い出した。「Te quiero mucho」はDANCE DANCE DANCEだし、「凱歌」「Never Mine」はSuperstarを連想した。「Jasper」はやらないのかよと思った。途中の映像の空飛ぶ電車はFantasy Love Trainだし、リョウガさんのピアノ演奏はGOLDEN EPOCHだ。他にもいろいろあるし、私が気が付かなかったところもあるだろうし、人によって連想する景色は違うと思うけれど、とにかくこれまでの超特急のツアーを全部詰め込んだような密度のライブで、コールが多いわけではないのにめちゃくちゃ体力を持っていかれる時間だった。

最近の定石を意識的に選ばなかったツアーでもあると思う。リリースからほぼ皆勤だった「ジュブナイラー」、採用率の高いツアーテーマ曲なのに入っていない「Countdown」。「Burn!」も「走れ!!!!超特急」も入っていない。コール定番曲がかなり少なくて、超えアバ*1もSAY NOもバッタマンもシーエクもない。そのポジションに「BREAK OFF」や「HOPE STEP JUMP」「OVER DRIVE」が突っ込まれているような印象があった。こういう曲もあるんだよと教えてくれているような、そんな気がした。

これまでの超特急を煮詰めたツアーであることを感じ取った人の中で、置いていかれたような気持ちになっている人もいるかもしれない。ただ、これは昔からの8号車のためだけのツアーでは絶対にない。もちろんそういう側面もある。特に「ライオンライフ」については、知らない人の知らない曲として受け取った人と、そうでない人の間に違いがあることは否めない。でも、それで何となく面白くない気持ちになっている人には、少し考え直してほしいと思っている。今、新しいファンが増えている中で、わざわざこれをやる理由なんてひとつしかない。今いる8号車全員に、超特急のことを知ってもらいたいからだ。揃えられるところまで足並みを揃えて、東京ドームに一緒に行きたいからだ。ドームで、古参だけが沸く曲を、1つでも減らしたいと思っているからだ。違いますか?昔からの8号車のことしか考えていないなんてことはない。むしろ、新規の、この曲知らないなと思ったあなたに向けて、よろしくねと過去を差し出してくれているツアーだ。だからこそ、全員に楽しんでほしい。古い曲が多いことを、ポジティブに受け取ってほしいと思う。というか、背景情報がなくてもめちゃくちゃ楽しいツアーだから、余計なことに気を取られてしまうのはもったいない。素直に受け取ってほしいと思うのも、エゴだと思うけど。

冒頭でも書いた通り、私は新規だし、昔の超特急のことは知らない。知りたいと思ってきたけれど、掘れば掘るほど届かなくなるような気がしてきた。だから、ESCORTが本当に嬉しかったのだ。過去を知ろうとする私のことを受け入れてもらえたような気がした。昔の曲を愛する気持ちを、歓迎されていると思った。同じように知ることはできなくても、私も過去に触れていいのだと思った。私の欲望や好奇心が許されていると感じた。RE GROWTHを読んだときの確信は正しかった。ユーキさんは、本当に等しく私たちを歓迎している。東京ドームに足を運ぶ全員を、祝福する準備を着々と進めてくれているのだ。

私は、超特急が好きだ。7人の超特急の、がむしゃらで青くて、それぞれのプライドや葛藤が一緒くたに燃えているようなステージが好き。6人の超特急の、ひたむきで眩しくて、無邪気なステージが好き。5人の超特急の、お互いに向けられた優しい視線と、言葉の外で支え合うようなステージが好き。9人の超特急の、すこんと晴れた空のように瑞々しい、幸福で全力なステージが、好きだ。どの時代も、好きになってしまった。だって、めっちゃいいライブしかしてないんだよ、超特急って。ユーキさんが選んで立ち続けた場所が超特急だから、それを愛することを許されたいと思う。思ってたんだなって、ESCORTに乗車してはじめて気がついた。許されなくても辞められないけど、嫌がられたいわけじゃないから。ありがとう、私を超特急に誘ってくれて。今の超特急を通じて、いろんな思い出を見せてくれて、ありがとう。ESCORT、1人でも多くの人が、超特急との楽しい思い出を持ち帰ってくれるツアーになるといいなと、至極勝手に祈っている。

 

Gracias!  同じ時代に生まれ

笑顔と涙をともにして

感謝感激って思うよ  マジで

Te quiero mucho / 超特急

 

*1:2日目アンコールではやりました

約束も覚悟もエデンの外で

超特急は美しい。この世のものとは思えないくらいに美しい人たちで、美しいグループだと思っている。と同時に、私は超特急を好きになってから何度もその偶像を砕かれてきた。美しくない側面を見て失望したという意味ではなく、「同じ人間だ」ということを本人たちから突きつけられてきた、という意味で*1

「カイくんが好きすぎて現実で恋ができない」という8号車にカイくんは「俺も現実だけどね」と言う。電車を使うことに驚かれて、「電車ぐらい乗るだろ」とリョウガさんは笑う*2。一部のファンやスタッフの声をものともせず、シューヤさんの腕は彼の望むままにめきめきと太くなっていく。そんなことまで教えてくれていいの、とこちらが戸惑うくらい、正直に語られた言葉が山ほどある。やわらかに、礼儀正しく断られた欲望も山ほどあるな、と思う。

アライブ・ライブ

超特急の本領はライブだ。ライブでの超特急は、より美しく正直で、生そのものだと思う。

エデンじゃなくて構わない  君と出会えたから

喜びの花は咲くよ  感じて  We're alive

EVE / 超特急

そう、超特急は生きている。生きた、現実のグループなのだ。超特急は、今を生きる人間がそれぞれ選んで、集まってできている。ここはエデンではなく、労働があり、別れがあり、病も怪我も避けることはできない。EVEは、そういうことを繰り返し伝えるライブだった。

OPの映像はメンバーそれぞれが自然に囲まれているロケーションのものだった。太陽ではじまり、風、砂、雨、岩、森、雷、海、そして月*3。はじまったものは終わること、そしてそれは繰り返されることを示すような構成だと思った。埼玉でユーキさんが「タカシが太陽で、シューヤが月」とはっきり言ったので、この解釈はほとんど間違っていなかったと言えるだろう。超特急は今、循環を実現できる状態にあるということだ。別々の車両が連結して形を成している超特急、ツインボーカルの音源をRe-ver.と銘打っている超特急。繰り返すこと、生まれ変わること、甦らせることには、ある種超特急の本質があると思う。すごく簡単に言ってしまうなら、諦めないということだ。

Re-ver.と称したヴァージョン名は、強い想いが詰まっており、
Retake(リテイク=再収録)
Respect(敬意=過去の活動への敬意)
Renketsu(連結=新メンバー加入)
という3つの意味を込めた頭2文字を取っての Re という意味。

既存曲リテイク ver.4 曲連続楽曲配信決定!!! | 超特急より

「EVE」で荘厳に幕を開けたあと、「What's up!?」までの4曲は今の超特急をぎゅっと詰め込んだようなわかりやすく盛り上がるセットリストだった。続く「Lesson II」でがらりと雰囲気が変わる。この曲で乱れ踊ったあと、9人は「Cead Mile Failte」で楽園を焼き尽くす。本能や欲望のままにエデンを破壊するのがこの2曲のコンセプトだったと思う。曲終わりにモニターが端からぶわっと燃えて消える演出が良かったので円盤に写っていて欲しい。

孤独

それは一瞬で消えて  やがて闇に包まれ

孤独に導かれ

Feel the light / 超特急

炎のあと、暗闇が訪れて「Feel the light」がはじまる。最低限の明かりで、9人はそれぞれ烏瓜のような丸い照明を片手に、時には抱きしめるように、時には操られているかのように、歌い踊る。直前の「Cead Mile Failte」の一体感とは裏腹に、この曲ではそれぞれが孤独に見える。メンバー間のやり取りが少ないからか、立ち位置が離れているからか、9人でひとつという印象が薄い。みんなが必死で、迷っているようにも見えた。

アウトロで、セットの一番上にいるユーキさんにスポットライトが当たる。一歩後ずさってスポットから外れて、モニターの光に吸い込まれるように手を伸ばして、地面を失ってすとんと真下に落下していく。何度見ても、ぞわっと肌が粟立つような美しさだった。

そのまま、ユーキさんが水の中に沈んでいく映像が流れ始める。抵抗することなく、苦しむこともなく、静かに身体が水に沈んでいく。金髪が浮力でふわりと広がって、まぶたの輪郭の丸みや鼻の輪郭のシャープさがよく見えた。水底に辿り着くか着かないかのうちに場面は真っ白な部屋へと写り変わる。ユーキさんは床に横たわっていて、8人は黙ってそれを囲んでいる。ユーキさんが起き上がって、8人はばらばらの方向に歩んで消えていく。起き上がる動きは逆再生のように見えた。ここから、時間は過去へと巻きもどる。

もう一度

はじまりの曲「No More Cry」からはじまるこのパート、無垢で真っ白な揃いの衣装と4〜7thシングルをリリース順に披露するセットリストから察するに、やはりここは"過去"なのだと思う。映画「RE:VE」でもRE-BIRTHとチャプターが振られていたし、リハーサル室のセトリ表には「超特急(誕生)」と書き込まれていた。途中で衣装はフォームチェンジして、差し色のようにメンバーカラーが取り入れられた姿に変わる。衣装がだんだんと色づいていくさまはこのライブを象徴しているようだ。

初期の超特急をなぞるように、今の超特急がパフォーマンスをする。メドレー形式ではあったものの、ブラナイの冒頭のおさななやマント、ikkiの扇子など、元々のパフォーマンスを生かすプレーンな演出だったと思う。かつてのメンバーやその脱退、超特急が変わったことを連想させるような演出だと思った。超特急は変わった。それは、生きているから生じた変化で、苦しみで、喜びなのだと思う。喜びになるまで走り続けたからこそのステージだった。ダブルセンターのikki!!!!!i!!を見ながら、「正解にしていく」と話すカイくんの強い瞳を思い出さずにはいられなかった。

MCを挟んで、3ユニットに別れてのパフォーマンスが行われた。メインダンサー&バックボーカルで蘇った「霖雨」、書き下ろしのRap詞を付け加えてダンサーによって披露された「Turn up」、スタンドマイクでのパフォーマンスを活かしたままダンサーが歌った「STYLE」、どれも、曲を甦らせるような演出だったと思う。「Snow break」もあんなおふざけ演出なのにきっちり元の振り付けだったし。生かすところはそのままに、新しいエッセンスを入れることを恐れない。初期シングルメドレーからここまでの流れは超特急の再構築そのものだった。

脱線するけど、これはどういう経緯で決まったメドレーだったんだろう。ユニットパフォーマンスをやろうからスタートだったのか、DOMEラップをやろうだったのか、リョガハルに歌わせようだったのか、起点を教えて欲しい。気になる。

この世界には無数のストーリー

ここで当時の最新リリース「キャラメルハート」が差し込まれて、「My Buddy」「Jesus」と明るい曲が続く。今の超特急が見ている世界が、明るくて、熱意と愛に満ちていることが分かる。

そのあとに挟まる映像が、超特急のメンバーが超特急ではない、別の仕事をしているミニドラマ形式のものだった。「違う世界」で、(おそらく)「8号車と同じように」働いたり悩んだり嫌になったりしている、俗世の、日常の超特急。三つの物語はすべて、きついこともあるけどもうちょっと頑張れそうかも、とか、頑張ってよかったな、というところに着地して終わる。そしてそのあとに「a kind of love」が披露されるのだ。

僕の知らない世界も

それなりにハッピーなんだろう

それでもね  君のいるココが居場所なんだよ

a kind of love / 超特急

このあとの「EBiDAY EBiNAI」も「君と、奏で」も、趣旨は同じだったと思う。つまり、超特急がEVEで見据えていたのは我々8号車で、私たちの生活で、人生だったということ。負けんなよ、無理すんなよ、でももうちょっと頑張ろう。そして、ここには君たちが必要だよ。そういうメッセージ。同時に、俺らはこのステージを、超特急を、8号車を選んだよという決意表明でもある。それってプロポーズじゃん、と思った。今生きている超特急が、この先の未来も一緒に行こう、と伝えてくれている。疾走感のあるセットリストの中にある重みは、その覚悟だと思った。

最初の映像と同じ、真っ白な部屋で、9人が輪になって立っている。ノイズが挟まって、ミニドラマの世界線の9人が居酒屋にいるシーンが写って、彼らがお互いの日常を報告して称え合う。「長かった日常から、ようやくたどり着いたこの場所に」「どんなときも繋がってた最高の仲間に」乾杯をする。超特急のライブそのものだなと思った。長かった日常を走った先で、同じ時間を、感情を分かち合える、そんな場所。冒頭でも書いた通り超特急の本領はライブで、だからこそライブで、この先も行こう、と伝えたかったんじゃないかと思う。

まだまだ足んねぇ!

9人が横並びでゆっくり歩いてくる映像のあと、リョウガさんの煽りと共に横一列になった超特急が再び登場する。このあとの怒涛のコールメドレーが、とにかくすごかった。消費カロリーの高いコールばかり、しかもコールの部分だけを切り貼りしたようなメドレーで、夏だったこともあって毎回汗だくの満身創痍だった。

 雅な祭を始めよう

理想(ユメ)と現実(イマ)の熱がリンクしたら

いざ  THE  尋常に  騒げ

SAY NO / 超特急

とにかく声を出してほしい、ということしかわからないくらい怒涛のラインナップだけど、多分それが伝わればよかったのだと思う。「8号車の声が加わってはじめて超特急のライブは完成する」ということを訴えているのがこのパートだから。名前を呼ばせてくれるコールの採用率が高いのも嬉しかった。こんなの愛だよね、やっぱりEVEってプロポーズだったよね、と半年経った今でも思う。

君のエールがレールに変わるよ

走り続けるよ

走れ!!!!超特急 / 超特急

「Drawイッパツ!」のRe-ver.はEVEが初披露だった。この曲のコールは8号車が考えたのではなく、超特急が「これを言ってほしい」と提示したものだ。その事実に何回でも驚かされる。どんな壁も壊し乗り越え夢のドームに連れてって、だよ。言いたくても言えない言葉だと思う。それを求めて、言わせてくれる超特急って、覚悟が決まっていてかっこいい。そして、締めくくりが「Burn!」なのも彼ららしくて好きだ。振り切った限界をまた乗り越えて僕は強くなる、諦めたくはないから。

永遠

EVEツアーのセットリストはどこを取っても最高だけど、本編が「Billion Beats」で終わるところが何と言っても好きだ。

20億分のあと何回、君といられるだろう。20億分のうちのいったい何回、君に聞かせられる?歌詞のすべてが、祈りのようだと思う。20億分のうちの一瞬がまさに今このときだということを、超特急は知っている。その一瞬を噛み締めるように1を数えながら、鼓動を刻む様子を見せてくれるのがこの曲だ。20億分の1のかけがえないこのトキメキ、忘れたくない一瞬一瞬の積み重ねで、超特急のライブはできている。

あなたの鼓動が刻む先 - 巷の話より*4

超特急が積み上げてきた鼓動や時間のすべてが、今の超特急を構成している。「非アイドル」と書かれた黒いシールは少なからず不条理の結果で、だけど超特急はそれを選んだし、背負った。捨てることなく走り続けた。今、それを名乗って欲しいとは思わないけど、どうしても惹きつけられるものがあるのだ。私にはその場の思いつきとしか思えない「メインダンサー&バックボーカルグループ」の「超特急」を、時間をかけて唯一のものにしていった超特急が好きだ。不本意、あるいは理不尽な瞬間はきっといくらでもあったと思う。けれど、ううん、だからこそ、そこから今まで積み上げてきたものを私は知りたいし、それを愛することを許されたい。そう思っている私にとって、EVEは狂おしいほどに眩しいツアーだった。間に合った、と何度も思ったし、知り得ない過去を眼差し、触れることを許されている心地良さがあった。

長いレールを進んできた超特急が、今なお走り続けてくれていること、変わっていく中で変わらないことを信じてくれていること。苦しみや理不尽を知っていてもなお、美しさや明るい未来に目を向けて、それを共有しようとしてくれること。その事実が、私にとっては何よりも美しい希望だと思う。これからも彼らは変わっていく。進んで行った先に、きっと何かしらの終わりはあるのだと思う。そのうえで、ステージに立つ超特急が、今見えているその輝きが、私の心を掴む。揺さぶる。駆り立てる。過去も未来もこの先も、どの超特急のことも知りたいし、会いたいと思う。

幸せの色なら

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エデンには、終わりも苦しみもない。ならば、超特急は、エデンの外にこそ存在する。終わりがあるからこそ、時には苦しみを伴う変化があったからこそ、世の理不尽を知っているからこそ、今の彼らがある。それでも超特急を止めなかったからこそ、自分や仲間、世界を信じ続けてきたからこそ、選択のひとつひとつに真摯でいたからこそ、超特急は今、輝いているのだと思う。そう思わずにはいられない、圧倒的な光がEVEのステージにはあった。深く根ざして、ゆっくりと枝葉を伸ばす樹のような、静かで円熟した明るさがあった。影も限りもある光で、だからこそ胸に迫る真実味があった。東京ドームを発表する前に、見せてくれた景色のひとつがこのツアーだったこと、一生大事に覚えていたい。

 

 

 

⬆️EVEが収録されています

 

 

 

 

*1:生身の本人たちと超特急のメンバーとしての本人たちをカタカナ名義で切り分けているところもかなり好きです

*2:あんな美しい人が電車に乗っていると思うと不安になるのでどうかタクシーを使ってほしいとは思う

*3:メンバーカラーに寄せたロケーションが多い中でじっとりと濡れた雨を自分に宛がったユーキさんのことが本当に好き

*4:好きすぎて既に1本ブログを書いている

この夕暮れを忘れない

嵐のラストツアーである「We Are ARASHI」札幌公演に立ち会うことができた。私は5×20のチケットが当たらなかったので、2017年の「untitled」以来の生嵐だった。当時の私は中学3年生、今では何と社会人である。

当時、私にとっての嵐は、推し、というより、母と妹と一緒に観るアイドルだった。嵐は当然のようにそこにいる人たちで、自分で能動的に関わりに行く対象ではなかった、という意味で。夕食時にはテレビに出ていて、家の車ではライブDVDが流れていて、校内放送ではしょっちゅういろんな嵐の曲が流れていた。同級生は当然のように嵐を知っていたし、いろんな熱量のファンがあらゆる場所にいた。ピアノ教室の受付のお姉さんとか、友だちのお母さんとかお姉ちゃんとか。

休止発表を挟んで、嵐の見え方は少し変わった。嵐も人間で、大人で、働いてるんだなと思った。何ていうのかな、親がかつては子どもであったことを理解した瞬間みたいな恐ろしさがあって、ずっと当たり前にそばにいた嵐の選択にうまく着いて行ききれなかったタイミングでもあった。そのくせ最後の年が嵐の想定通りにいかなかったことがあまりにも苦しくて受け入れがたくて、ぼんやりしている間に2020年は終わった。ライブの美しい終わり方を見て、直感的にさようなら、と思ったけど、口には出せなかった。

それはまるで闇のように

休止期間は、考えれば考えるほどよくない方に流れていきそうで、意識的にふわっとしたままでいたような気がする。そのせいか、未だに言葉にするのが難しい。曖昧なままにしておきたいとどこかで思っているのかもしれない。活動休止期間中も、嵐の曲を聴いたり、ライブの映像を見たり、嵐の話をしたり、そういう営みは当然のように続いていた。物心つく前からそばにいてくれた人たちだから、どう足掻いても私の生活の中に嵐はいたし、その存在の大きさにふっと不安になることもあった。嵐は律儀な人たちだから、このままフェードアウトするようなことはしないような気がしていたけど、それ以上の未来のことは考えられなかった。

今や私はどこからどう見てもオタクだけど、嵐のことに関しては上手く今のやり方にスライドさせられなくて、嵐の話をしているアカウントは全然フォローしていないし、嵐についての文章もうまく書けない。もちろん、私がこういうやり方でアイドルを追いかけるようになったのが活動休止以降だった、というのも無関係ではないけれど。上手く片付けられなくてクローゼットの奥にそっと置く昔の宝箱のように、どこにも属さない形で私の中にずっといるのが、嵐だった。

その糸の繋がった先まで

活動終了と最後のツアーが発表されてから、私の中の嵐がふたたび進み始めた。大人になって改めて見る嵐はやっぱり魅力的で、それが嬉しかった。発見もたくさんあった。嵐って真面目だけどけっこうガッツの人たちだよなとか、やっぱり潤さんて仕事人でめちゃくちゃ末っ子だなとか、嵐って子どもの頃思っていたよりかなりお酒好きだな、とかね。嵐がやんやか喋っているのを観る時間には驚くほど安心感があって、変わらないことが泣きそうなくらい嬉しかった。というか、泣いていた。

そう、私はこの1年くらい、嵐に触れている時間の半分くらいは泣いていた。悲しいとか、寂しいとか、嬉しいとか、明確な感情に割り振ることはできないままだったけれど、ずっと泣いていた。FCのMovieを見ては泣き、過去のライブを見ては泣き、曲を聴いては泣き、果ては大野くんの顔を見ては泣き。泣いてしまうことがわかっているからしんどくて、腰が重くなった。今の嵐が見れていることが嬉しいのに、今の嵐を上手く生活に加えられないことが歯がゆかった。

嵐は本当に終わるのだろうかと、何度も思った。5人があまりにも軽やかで、嵐のままでいてくれるから。休止中にぼんやりと描いていた復帰や再開、そして終了とはあまりにも違って見えたから。だけど同時によく知っている嵐の仕事そのものでもあって、敵わないなぁと何度も思った。

嵐というグループはあまりにも大きい。大きくなりすぎてしまった。でも、それでも5人はその紐をしっかりと握り続けた。頑として離さなかった。その結果が活動休止で、活動終了なのだと思う。ライブを見て、やっとその手を離せるんだ、と思った。今の5人で、我々が嵐ですと笑って見せて、そこで手を離してくれるんだなって、それがこのツアーでやりたいことで、やるべきことだったんだなって、ライブが終わった今、しみじみと思う。

ただひとつ選んだ現在を

私のエンタメとの関わりを遡っていくと読書にたどり着く。完成されたもの、閉じているもの、自分のペースで関われるもの。小学生の私はひたすらフィクションの世界に没頭していて、現実世界の記憶が割と薄い。そこから対人のコンテンツに踏み出した転換点は、間違いなく嵐のライブだった。

そもそも、思い返せば音楽を聴くという習慣自体、嵐が教えてくれたものだった。かつて使っていたウォークマンには嵐の曲ばかり入っていたし、ルーズリーフに歌詞を書き出したりもしていた。塾の帰り、あるいは図書館からの帰り、ひとりで歩きながら嵐を聴いているとき、私は自由で、ほんの少しだけ大人だった。

生まれてはじめてのライブも嵐だった。忘れもしない「Japonism」の東京ドーム公演、文字通りの天井席から見たステージのきらめき、ペンライトの光、5万5千人の熱狂は、今の私の原点だ。今では私は毎月のように何かしらのライブに行く生活をしていて、去年は1年間で30公演近いライブを見に行った。嵐のライブがなければ、出会えていなければ、こんな未来はなかっただろうと思う。エンターテインメントの力強さや、熱狂の一部になる心地良さ、お祭りに参加する心意気を教えてくれたのは嵐なのだ。

終わったはずの夢がまだ

ずっと嵐が原点だと思い続けてきたけれど、ライブの間、何度も新鮮に「これで育った」と思う瞬間があった。現地に行けたのは2回だけだったけど、そのぶんライブの映像はたくさん見ていた。何回見ても、どれを見ても、楽しくてワクワクした。夢の世界だった。大学生になったらバイトをして、自分のお金で嵐のライブに行くのが夢だった。熱意と自由の象徴のような気がしていたから、札幌ドームに行ってみたいと思っていた。私が大学生になったのは2021年。叶わなかったな、と思った。嵐が活動していないとライブには行けない。当たり前のことなんだけど、あの発表までそんなこと思ってもみなかったんだよね。どうすることもできなくて、諦める、というほどの覚悟もないまま、そっと奥にしまい込んだ夢だった。でも、社会人になった私は札幌ドームにいた。しかも、嵐がいる札幌ドームに!夢じゃなかった。本当だった。嵐が教えてくれた世界に、もう一度嵐が連れて行ってくれた。嵐がくれた夢が、嵐のおかげで叶った夜だった。

夜が明けるまで近くにいよう

こんなにライブに行っているのに制御ペンライトのライブにはなぜかほとんど縁がなかったので、あの景色は久しぶりだった。綺麗だった。他の言葉は見つからなかった。1本1本のペンライトが、別々の人間が持っているものが、それぞれの意志で振られている景色に、何度も涙ぐんだ。みんな嵐が好きなんだと思うと嬉しくてたまらなかった。定期的にペンライトが制御されていない時間があって、そのタイミングのひとつひとつに真心を感じた。松本潤という演出家のいじらしさみたいなものを、はじめて感じたかもしれない。今見返したら他のツアーでも見つけられるのだろうか。

もっと緊張したり、新鮮さを感じたりするかなと思っていたけれど、始まってしまえば意外とそんなことはなかった。紫色に光るペンライトを握りしめて、家のテレビでライブを観ているときのことや、車が信号で止まるたびに身を乗り出して覗いていた画面の中の嵐のことを思い出していた。嵐はずっと私のそばにいたんだということを、休止中にはどうしてか見落としてしまっていたことを、今更理解してしまった。受験の日、寂しい帰り道、楽しい散歩、失恋にも卒業にも出会いにも、嵐はずっとずっとずっといた。いてくれていた。休止中、勝手に怖がって様子を伺っていた私のそばにも、やっぱりいてくれたんだと思った。私にとって当たり前の存在だった嵐が、帰ってきてくれた瞬間だった。

どんな顔でどんな声で

潤さんがMCで、楽しさときらめきに満ちたお顔で、こう言った。「今までで一番、セトリ考えるの楽しかったかもしんない」。この瞬間のこと、きっと一生忘れないと思う。こちらの燻ったり煮詰まったりした気持ちや、心配になりきれなかった邪推を、晴れやかに吹き飛ばすような声色だった。ライブができて嬉しい、嵐をやれることが楽しい、そういう顔だった。それを素直にそのまま受け取れたのが、私も嬉しかった。「Love Rainbow」で、手のひらで頬を包みながら、どんな顔で、と歌う潤さんに、胸がぎゅーっと掴まれるような心地がした。どんな顔からも、どんな声からも、伝わったよ、受け取れたよ。愛されてるって、ちゃんとわかったよ。5人が積み上げてきたもの、大事にしてきたものが表情や声音ににじみ出ていて、それが何より雄弁だった。そして、それを私が受け取れたのだって、嵐がこれまで私たちと嵐を大事にしてきてくれたからだ。ありがとう、ありがとう、ありがとう。どんな顔で、どんな声で、伝わるかなんてわからなかったけど、めいっぱいの声で「ありがとう」と叫んで、それに嵐が「ありがとう」と返してくれて、私は本当に幸せだった。大好きだよもごめんねも、言葉にできないたくさんの思い出も、全部「ありがとう」に乗せられるんだということを、最後の最後に知れた。

君の言葉に嘘はないことを

ライブが始まってからは、ナーバスな気持ちはすぐにどこかに飛んでいってしまって、ただただ楽しかった。楽しい時間が終わってしまうことへの健全な寂しさだけがあった。最後だから楽しさが途切れるとか、最後だから美しさが上乗せされるとか、そういうことは一切なく、嵐は嵐としてステージに立ち、ステージを降りた。その姿が、私が好きな嵐が失われていないことを、彼らの決断に嘘がないことを、ちゃんと示してくれていたから、ライブが終わったそのとき、私は本当に晴れやかな気持ちで笑えていた。こんな風に穏やかに受け取れるなんて、正直全く思っていなかったのに。本当に楽しいライブだった。行けてよかったと、この日が来てよかったと心の底から思える時間だった。

いまここに広がる空がいつよりも美しい

アンコールはなかった。どんなに大きな声で呼んでも、もう嵐は出てこないのだなと思った。嵐は、「またね」とは言わずに、「ばいばい」「ありがとう」と繰り返し伝えてくれていた。寂しさはたしかにあったけど、たくさん言わせてくれた「ありがとう」のおかげで私も満たされていて、最後の最後には、ばいばい!って言うことすらできた。嬉しかったなぁ。きちんと再会させてくれて、きちんとお別れさせてくれて、本当にありがとう。奇跡のような時間を、確かな足取りで叶えてくれた嵐には感謝してもし足りないと思う。

あんなに泣いてばかりいたのに、ライブ以来、嵐のことでは泣いていない。歌や声を聴くたびに幸せな気持ちが蘇るから、嵐の曲ばかり聞いている。2020年以降、何なら休止発表以降、いちばん嵐の曲を聴いているかもしれない。

嵐は私の生活に帰ってきた。きっと活動が終わっても、何十年経っても、ここからいなくなることはないと今なら信じられる。幸せだなと思う。松本潤というのは有言実行そのもののようなアイドルで、いつだって「幸せにしてやるよ」と笑い続けてくれたアイドルで、そんなアイドルを好きになってしまった私が幸せになれないわけがないのだった。

 

変わらないものなどないと教えてくれたのは嵐だったけれど、この幸せはたしかに永遠だということも教えてくれた。嵐が活動していない世界が、終わりのない夜が、今は怖くない。

過去もまだ見ぬ未来も

ここに結ばれていたことほら

重なり合うこの瞬間に

心からありがとう  言えたこと

忘れないでいよう

Five / 嵐

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2026.04.02

 

夜明け、はじまり、赤い空

超特急の東京ドーム公演がきょう、発表された。本当に本当におめでとう。8号車になったその日から、願わない日はなかった夢の場所。夢が叶うことを知った瞬間の喜びは、ずっとイメージしてきたつもりだったけど、いざその感覚を味わうと、想像と現実には大きな差があることをはっきりと思い知らされる。喜びと、高揚と、感動と、その直前の妙にひんやりとした確信を、きっと忘れない。今日、超特急の夢は紛れもないREALになった。

正直、ずっと、決まってるんだろうなと思っていた。確信したのはEVEのオーラスだけど、EVEというタイトルを見たときから、東京ドーム、決まってるんだなと思っていた。だって、EVEだよ。前夜だよ。

理性じゃなくて直感の話をすると、初乗車であるRiB追加公演1日目から、私は超特急は東京ドームに立つんだと信じ続けてきた。信じて、というと私の意志が強い感じがするけど、自分で選んだというよりは信じざるを得ない景色だったという方が正しい。「Rail is Beautiful」は超特急の進んできた、選んできたレールを丸ごと美しく提示し直すライブだったから、こんなの、ドーム行くしかないじゃん、と思うしかなかった。演出やコンセプトなんかを抜きにしても、超特急のライブはあまりにも極まって眩しくて、ドームに相応しいどころかドームが頭下げて呼ぶべきグループだとすら思った。だから、翌日の公演が終わる時間、もしかしたら東京ドームが発表されてるかも……!とどきどきしていたのを未だに覚えている。結果、シンプルに次のツアーが発表されただけだったけど、史上最大のアリーナ8公演の大躍進。RiBがホールツアーだったことを思うとスゴすぎる*1。じゃあ、その次はさすがにドームか……と思った。

「Joker」は本格的に8号車になってからはじめてのツアーだった。この体制ではじめての曲とかがあるんだ!なるほどね!!という気づきとか、日替わりの演出があることへの驚きとかを新鮮に感じていた。RiBはセトリプレイリストを探し出して聴いて行ったので、正直どれがいつの曲とかいう概念がなかったんですよね。なんかバージョンがいろいろあるなとかは思った気がする。遠征はしなかったけど関東で3公演行って、そのうち1回は友だちを連れて行った。オーラスは単番で、ユーキさんのJokerにズタボロにされながらもドームだったらどうしよう!と思っていた。全然ドームではなかったけど、次のツアータイトルは「EVE」だった。前夜。そんな直接的な……と思った。じゃあその次がドームじゃん。確信した。私は楽観的でポジティブなのだ。オーラスが新体制最大キャパだったことも含めて、感情の上ではほぼ確信していた。2025年の冬ツアーはドームで、88で発表されるんだと信じてやまなかった。

Jokerの後くらいから過去の映像や曲を掘り下げはじめたのだが、FLT(2015)を観たとき、この段階でこんなに完成してたんだ、と思ったことは生涯忘れないだろう。続くレールの先には東京ドームの白い屋根が見えていると、このときの未来である現在を知っている私でさえ思った。どうしても見てみたくて買ったTEFB(2017-2018)*2でまた脳を焼かれた。終わり、そしてはじまり。はじまりのための終わり。この抽象度の高いタイトルにバチンとハマるライブを3公演以上やり遂げている。どれも生々しさや剥き出しの部分がたくさんあるのに、エンターテインメントとして恐ろしいほど完成されていた。凄み、と言っても大袈裟じゃない、プライドの塊みたいなツアー。"The End"が指し示すものは決まっていて、ちゃんと終わらせるためにやるべきことをすべてやろうとしていて。意地のような、歯を食いしばって踏ん張っているような、ベールの向こうの緊迫感に魅入られた。当時を知らない後追いの私に語る資格はないと思いながら、それでもやっぱり好きだと思った。TEFBを観たとき、それまでの「超特急に夢を叶えて欲しい」が「ユーキさんが東京ドームで見せてくれる超特急が見たい」に明確に切り替わった。私の夢になった。

「EVE」は人生初のツアー初日に入ることができた。昔の曲もわかるようになって入る初日は心底楽しくて、こんな楽しいことをみんなは知ってたんですか!?と思った。そして人生最大の7公演通ったツアーでもある。ほぼ全通。何回行っても楽しくて、毎回発見があって、毎回こりゃ次ドームだわ!と思っていた。だってセトリがドームのアップすぎるから。夢のドームに連れてって!は今しか言えないかも!と思って毎回喉を潰す気持ちで臨んだ。さいたまスーパーアリーナにド緊張しながら入場して、MCで何となく(今日じゃ……ない……?)と思い、撮可と言われて(さすがにドームか……)と思い、ドームではなかったのでびっくりした。でも、次は12公演もある!嬉しい。この日、確信を持っていたのに現実が違ったので、これ以降予想をするのは半分諦めた。みんなの、特にカイくんとタカシくんの話しぶりからして、多分決まってはいるんだろうなと思ったし、超特急ならいいタイミングで発表してくれるだろうと思ったから。私は今後も「次はドームだわ」と言い続けようと能天気に考えていた。

「REAL?」は驚くほど当たらなくて困ったけど、フォロワーの健闘(本当にみんなありがとう)により最終的には5公演行くことができた。キャパ的には今すぐドーム行って欲しいけど、行くなら冬ツ、というかクリスマスがいいなと思っていたので、まあまあ気を抜いていたが、間に挟まったファンミで度肝を抜かれる。え?!もう次のツアー発表?!オーラスにこれよりデカい発表が??!しかもタイトルは「ESCORT」。どこにエスコートするかって、そんなの決まってる。ドームだ。さすがにこれはそうでしょう。

ESCORTの次がドームだとして、じゃあオーラスは何の話をするんだろう、とか、さすがにESCORT少ないから追加公演あっていいよね、とかグダグダ考えていたけれど、1週間前になって更新されたユーキさんの夢8ブログを読んでからはこれはやっぱドーム発表……と思わずにはいられなかった。あんなアッツいブログさ、さすがのユーキさんも東京ドーム決定以前に出せないと思う。だとして、いつ?!冬ツ?!追加公演?!混乱しつつも、考えたってしょうがないのでとりあえずチケトレに祈りましたが、両日引っかからず先着も惨敗。都庁の展望台にまで上がったのにですよ。ただカレー食べるだけの人になってしまった。

私の中ではドーム発表8割、2割なんかちがうドデカい告知、くらいの感じだったので、どの道ひとりでは耐えられないと思いTwitterで募集をかけると7人集まってくれました。8号車って最高。

ライブの途中、もうタイミングは覚えてないんだけど、ドーム発表の会場に行くことはできなかったのかもしれない、と思う瞬間があった。その事実を受け入れねばならないという、覚悟を決める瞬間が。でも、いざ発表されたときは全然そんなこと思い出さなかった。現地にいられなくても、代々木は超満員で、同じ場所に何人も大喜びの8号車がいて、超特急が本当に本当に嬉しそうで、文字通り、これ以上望むものなどないなと思った。幸せでふわふわしたままふわふわと書いているのがこれです。本当に嬉しいんだ。絶対嬉しい!泣いちゃう!とか思ってたけど、こんなにも嬉しいとは思わなかった。

超特急が私たちを喜ばせてくれて、そんな8号車を見て超特急も喜んだり満足したりしてくれて……その繰り返しで超特急はできている。どんなに大きくなっても、きっとこちらを覗き込み続けてくれる。それぞれがコツコツやってきたお仕事が、ちゃんと息づいていて、その結果たくさんのお花やメッセージ、リアクションが届いていることを誇らしく思った。

ユーキさんは「15年かけるべきだった」と言い切ったけど、正直私はそうは思えない。5年目くらいで立ったって、超特急は素晴らしかっただろう。というか、立てるポテンシャルは絶対にあったと思う。いるのかわかんない神様に、こんなに難しくする必要があったのですか?*3と思わずにはいられない。でも、でも、でも、ユーキさんがそう言うのなら、やっぱりそうなんだろうと思う。15年かけたことには意味と価値がある。あの日のJoker Faceも、あの日のParty Makerも、こんなに嬉しい形で今にしてくれてありがとう。ああ、この人は本当に全てを抱えてドームに立つんだなと、その大きな背中を眩しく見つめた。赤いペンライトを持って、必ず東京ドームに行きます。

JokerオーラスでEVEが発表された日、カラオケでオールして外に出たら朝焼けが見れるんじゃないかと思っていた。比喩表現ではなくてね。でも、実際は空は真っ暗で、ほとんど夜みたいだった。EVEの次はドームじゃなかった。でも、夜明けはすぐそこまで来ている。真っ赤な朝日が輝く朝が、きっとドームの先にある。電車は毎日繰り返し走るものだ。日没も日昇も、毎日繰り返すものだ。超特急はドームに立つ。そのあと、また新しいスタートを切る。なんて正しい世界なんだろう。なんて美しい人たちなんだろう。

信じるものは救われるらしい、夢は見るよりつかみとれ、ありえない見ててよ正義は勝つぞ、腐らずに笑おうぜ、限界突破で何か変わるはずだ、未来を選ぶのは僕らだ、等身大で欲しいんだ愛、ドリーム半端ねえ、ほら笑ってそばにいてよ、いつかは叶う、無理なんかじゃない、後悔たらればすっ飛ばしていけ、ありふれた日常が奇跡に変わる瞬間を信じて、努力こそが十八番、認めろ世界は素晴らしい、真実の世界に駆け出そう、理不尽な世界にゴージャスな理想、それでも信じたいでしょ、生きてる証をこの世界に刻み込め、君が君のままいられるように僕らこの場所で踊るよ、胸の奥震わせる景色をキミの目に、視線の高さは違っても同じ景色を、"誰かのために"てのもいいんじゃない、幸せはいつも君の中に、互いに笑えるまで振り向かない、光と影も君の心も掴んだらもう離さないよ、明日すら愛おしくなるほどの僕の夢、昨日よりも素晴らしい明日へ君を連れていこう、いつだって僕ら信じ合えればどんな世界も創ってゆける、素敵なことがあると信じていれば必ず僕らに会えるから、空も海も山も谷も花も鳥も風も月も誰も彼も残らず全部盛り上がるBeat、一切合切全身全霊愛を掴む運命、走馬灯から選ぶ起死回生の巻、僕らがついてる、20億分のうちの一瞬さえも忘れたくはないから、自分にだけは誇れる自分になるのさ、この瞬間の僕らずっと胸にいるよ、大丈夫だよ雨上がりには虹が君を迎えてくれる、ただ笑ってる僕を信じていたい、見えなくたって信じるだけ、昨日よりも明日を、出来ないことはない、楽しかったことも悲しかったこともウソじゃないと証明したいんだ、幸せの色なら君の瞳の中、行こうか上まで、限界なんて超特急にはありません、僕には君が必要なんだよ、君と僕なら問題ない同じ夢を一緒にみたいよ、一緒に行こうよ乗せていくから答えになるその日まで、終わりのない夢見たいんだ、ねぇもっと声を聞きたいよ、僕は君の煌めく笑顔が見たいから、白い空まで。

またまたそんなこと言って、とこちらが逃げてしまいそうになるくらいのまっすぐな綺麗事を、リアルに肉薄したものとして届けてくれる超特急が好きです。超特急は本当のことしか言わないし、そのためのすべてを惜しまない人たちだ。本当に夢って諦めなければ叶うんだね。ひとつの星に手が届いた超特急がこれからも走り続けること、この先もREALな超特急を追いかけていられることが嬉しくてまた泣いている。ねえ、愛してるよ。

もう発車の準備はオーライ

歴史が変わるミラクルショータイム

BREAK OFF/超特急

*1:とはいえホルツは全然適正キャパじゃなかったと思う

*2:買う人はHMVの完全盤みたいなやつを買ってください。まだ買えるはず。3公演ともセトリが違います

*3:ハリーポッターネタでごめんなさい。ずっと思ってたから我慢できなかった……

賽をこの手に

⚠️この記事には「REAL?」の演出・楽曲バレが含まれています!ネタバレは見ない方が楽しめるライブかと思いますので、悩まれた方はブラウザバックをオススメします⚠️

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最近、オススメ欄とかいう濁流に乗って"推し活"の"醜悪さ"が流れてくる。他人に時間とお金をかけても何にもならないとか、その分を自己投資に回せば生活が豊かになるとか、赤の他人にそこまで思い入れるのはおかしいとか、相手の方がいい暮らしをしているのに貢ぎ続けるのは馬鹿げているとか、高学歴は推し活しないとか。笑止千万である。もちろん、昨今の"推し活ブーム"に乗っかった資本主義の搾取は実在しているし、それを憎んでもいる。推し活という言い方も、資本主義に乗っ取られるのも私は好きではない。それでも、他人に愛を注ぐこと、関心を持つこと、時間やお金をかけること、そういう営みを理解しない人に、あまつさえ赤の他人の趣味に上から目線でいっちょかみしようとするような人に、全否定されるようなことはないと断言できる。大切にしたい、コストをかけたいと思える他人がいないからそういうマウンティングをしたくなるのだ。むしろ貧しいのはそちらだ、と思うけれども、まあこの辺は好みの問題かもしれない。

嫌味や文句は主題ではないので、この辺で切り上げて本題に移りたい。今年の超特急の冬ツアー「REAL?」は、何が本当で何が虚構か、そのボーダーについてこちらに問いかけてくるコンセプトのものだ。冒頭、神谷浩史のナレーション*1によって「何をもって本当と判断しているのか?」「目の前にあるものが真実とは限らない」といった内容が語られる。

このライブにおいて超特急は虚構(≒ゲームの世界)に閉じ込められている。セットリストが進むと共に、彼らは徐々にプログラムされていない動きをし始める。意識を持ち、自我を持って、未来を"選び"始める。曲間、ゲームの世界の製作者はこう語る。「抜け出すためには、誰も選んでいない道を探さなければいけない*2」。

シナリオを覆し、前人未到の道を開拓する。これってまさに超特急がやってきたことでは、と思う。私は常々「超特急が爆売れしない世界は嘘」「超特急が出演していない音楽番組があると世界に歪みが生じるため、それを正すために超特急はすべての音楽番組に呼ばれる必要がある」などと本気で考えている。新規ながらに、超特急は昔から"ホンモノ"の"実力"を持ちながらそれに見合った扱いを受けていないタイミングが多すぎたグループだと思う。2014年の時点で代々木であのライブができるのに、2025年まで東京ドームに立っていないというのはどう考えてもおかしい。世の中に絶対はないけれど、少なくとも、ドーム規模のライブばかり見てきた私がそう思っているということは紛れもない事実だ。

今回、AwA AwAがセトリ入りしていることに私は意味を見出したい。REALがこのライブの核であることは間違いないけれど、AwA AwAもこのライブの芯に食い込んでいる歌だと思う。というかむしろ、AwA AwAが裏テーマなのではないか、という気すらする。無理ゲー、リセットボタンといった軽快なワードと共に歌われる「現状ひっくり返せ」「暗い長いトンネルを抜けるのさ」。そこから続く、「やっとさー  やっとさー」に、何度でも目頭が熱くなる。やっとやっと、やっと来た「俺のターン」、それが今。超特急は今、トンネルを抜けて、未知の冒険を始めようとしている。

おそらく超特急は東京ドームに手をかけている。10年以上目指してきた夢の場所の手前まできてやっと、ユーキさんははじめて哀を含んだライブが作れたのではないかと思うのだ。(中略)

東京ドームが”見える”ようになったからこそ、ユーキさんはあの写真集を作れたのだと思う。「RE GROWTH」は、まさに喜怒哀楽、ユーキさんがこれまで感じてきたこと、考えてきたことがこちらが気圧されるくらいに赤裸々に綴られた本だった。つまり、あれをファンに見せられるくらい、ユーキさんには明確なビジョンが見えているというわけだ。EVEはあの本の延長にあるような気がする。

【EVE感想】どんな完璧なフィクションよりも|つじ / ノキタ

REAL?もEVEと同じく、赤裸々で迫力のあるライブだった。未知のルートを選び、唯一無二のスタイルを確立し、道を拓いてきた超特急だからこそのメッセージだと思った。正解や明確な目印などないから目の前のわかりやすさに飛びつくな、という厳しさをはらんだライブだった。見えているものが真実とは限らない。この世界はいろんな要素が絡み合ってできていて、少しの揺らぎがやがて大きな波紋になる。何を信じるべきか、判断するの難しい。だからこそ、自分が信じられるものには価値があるのだ、というストーリーとして私は受け取った。

横浜2日目、MCでユーキさんが話してくれた内容がすべてかもしれない、と書きながら思っている。最近、これほんとなの?嘘じゃない?っていうこといっぱいあるじゃないですか、と話し始めたユーキさんは、でもライブは、ここにあるものは、全部本当だと思ってる、と続けた。みんなが見たもの感じたもの、そこに嘘はない、そう言ってくれた。ライブという空間で対面して、感じた"本物"を持って帰ってほしいと、まっすぐな目で話してくれた。あなたが感じたものはすべて本物だよと託してくれる人がつくったライブが「REAL?」で、そういう人が愛し、動かし続けたグループが超特急なのだと思った。

やや話が逸れるけれど、東京ドームを、この先長く続いて愛されていくグループを目指している超特急にとって、「出る時間が短くなっても満足感を与えられるライブ」はひとつ模索しなくちゃいけないものだと思う。ユーキさんは今また新たな"超特急のライブ"を開拓している。モヤモヤしてる人もいるようだし気持ちはわからなくもない。かく言う私は、ユーキさんの頭の中にあるものは言葉でそのまま取り出すことはできないと思っているので、正直なところ、言葉で説明するより映像や動きでやってくれる方が好みではある。それでも、ライブが終わった瞬間の楽しかった!という充実感はたしかな手応えのある感情だった。疑う余地のない本物だった。

今回、フェイクの演出がいくつかあったけれど、それを見ている私たちはリアルで、驚いたり戸惑ったり感動したりしたその気持ちもリアルだった。というかむしろ、フェイクが混ざれば混ざるほど、自分の感情が浮き彫りになるような感覚すらあった。終盤の無音パフォーマンス、7人の声が、靴音が、息遣いと衣擦れの音が、そこに立っている超特急が本物であることを、生きた人間であることを、疑う余地なく示していた。私個人の話だけど、トロッコやステージの近くで演者を見るとき、近くてよく見えるときでも、現実味を感じることはほとんどない。嘘みたいに綺麗だなとか、テレビより現実の方が綺麗って本当なんだな、とか考えてるうちに彼ら彼女らはまた遠くへ行き、一瞬の近さは幻のように私の手から零れていく。でも、あの無音の時間、これまでライブで一度も感じたことのない種類の"実在"を肌で感じた。鳥肌が立った。これがリアルだ、と思った。

Beautiful Chaser、無音パフォーマンス、そしてCountdownと続く儀式のようなパートで圧倒したあと、超特急はあの世界から脱出する。その後流れるエンドロールのBGMは、「Big Ta-Da!」だった。ライブ本編でやってほしかった気持ちも強く強く強くある*3けれど、ここでBig Ta-Da!を持ってきてくれるのはどう考えても愛でしかなくて、嬉しくて、ちょっとだけ泣いた。Big Ta-Da!は日常の、現実の歌だ。ゲームはどこかでやめなくてはいけない。物語は結ばれてしまうものだ。ライブは必ず終わって、私たちは目覚ましの音で現実に戻る。そこを切り取りながら、「なんて愛おしくて愛すべき日々だ」って歌ってくれること、それを虚構を脱出したあとに持ってきてくれること、超特急らしい愛で胸がいっぱいになる。

大切な時間は  すぐ終わっちゃうけど  この瞬間の僕ら  ずっと胸(ここ)にいるよ

Big Ta-Da! / 超特急

私は、フィクション生まれフィクション育ちのオタクだ。物語が好きで、虚構に夢中な幼少期だった。現実がどうであれ、本を開けばそこは違う世界で、それを知っていること、自分がそれを選べることがお守りだった。超特急は現実なんだけど、でも、私の中では物語と近い位置にいるな、と思う。いつでも私の中にいて、存在を感じることができて、その事実が私を支えてくれる。超特急は虚構から脱するけど、ゲーム自体がなくなるわけじゃなくて、その外側では子どもがゲームを楽しくプレイしている。虚構を否定しないその演出が嬉しかった。

フィクションと同じように、アイドルや芸能の世界に対しても、そんなの嘘だ、つくりものだ、という人は一定数いる。冒頭触れたような、"推し活"を愚かなものとして糾弾する人と、かなり層が重なるのではないかと思う。たしかに、つくりものなのかもしれない。100%の真実はないのかもしれない。それを知るすべも権利も私にはないと思う。でも、それを見てエンパワメントされる私のどこに嘘があるというのだろう。人の心を動かせるその姿が、嘘だったとして何の問題があるというのだろう。そんなことに囚われて、こんな素晴らしい体験を逃しているなんてもったいない、と思う。

キミが知らないんでしょう。誰かを幸せにする歓びを。自分の時間と命を無心で捧げる情熱を。(中略)

奉仕や献身なんかじゃない。感謝も、ねぎらいも、永遠の愛もいらない。ボクの望みだ。ボクの仕事だ。誰にも邪魔はさせないボクのショーだ。

アイドリッシュセブン 3部12章4話「3人の決意」より

私のバイブルことアイドリッシュセブンから、九条天くんのセリフを引用させてもらう。この覚悟と自分の趣味を並べるのはあまりにも烏滸がましいんだけど、それでも、これを読んだときの、そうだ、私が望むように私は私の時間を捧げていいんだ、という感動の話をどうしてもしたかった。奉仕や献身なんかじゃない。私は"推し"に貢いだことも、尽くしたこともない。ただ、そこに費やす時間が好きで、そこにしかない体験が欲しくて、私のためにお金を払って時間を使っているのだ。嘘でもいい、刹那のきらめきでもはりぼてでもいい。自分で選んで愛したものであれば十分、私にとっての本物の宝になるのだ。

REAL?は、フェイクを否定することなく、むしろ絡め取りながらリアルを追求してくれる演出で、そこが好きだった。私が好きな超特急だ、と思った。やっぱりユーキさんのつくるライブはプライドと愛の塊で、愛さずにはいられない。関係ないけど、Big Ta-Da!のコールこのツアーで固められたらめっちゃいいですよね。裏にいる超特急に聞こえるくらいの「Big Ta-Da〜〜!」を響かせたい。

ところで超特急は、随分と昔にこの問にひとつの答えを出している。

モノホンなんかなんなくて結構  そもそも誰が決めたんだ real or fake?

バッタマン / 超特急

理想も見方によっては虚構だ。虚構を目指して、それを本物にすることを人は努力と呼ぶのではないだろうか。「人を憎まず世を憎まず  憎むは己の体たらく」を地で行く超特急が見出すリアルをこの目で見たいと思う。誰かが決めた正解に縋ることなく、走り続ける超特急がたどり着く花道を、ペンライトで飾りたい。予定調和の世界から脱出する間際の超特急、自らの意思で選び、進む超特急の姿を、このツアーで目に焼き付けたいと思う。

 

 

*1:聞き間違いではないと思うのですが、なぜ神谷浩史なんでしょうか?

*2:メモをとっていないため完全にニュアンスです

*3:全然諦めてません。何ならここから毎ツアーセトリ入りすると思ってます

スパイシー・フリーレンジアイドル

私が思うに、SixTONESのライブにはいくつか本人たちの意志を感じる特徴がある。ひとつ、ストーリー性のある映像を使わないこと。ふたつ、本人たちの感想をまとまって話す場を設けないこと。みっつ、ペンライトを制御しないこと。よっつ、コンセプトを絞りきらないこと。

はじめに「意志を感じる」という言い方をしたが、それはこれらの特徴がツアーを重ねる毎に色濃くなってきたと感じているからだ。デビューツアーである「TrackONE IMPACT」では、6人の録音されたモノローグが流れる部分が存在している*1。2ndアルバムを引っさげての「Feel da CITY」は街のコンセプトが随所に感じられるライブだ。が、「慣声の法則」ではかなりコンセプトという概念が薄くなった。昨年の「VVS」はさらにコンセプトという縛りを手放していて、アルバムから一貫して良いバイブスを生むことのみに特化していたように思う。バイブス。いい言葉!

今年の「YOUNG OLD」は、去年よりは具体性があったものの、統一感があったかと言われると微妙だと思う。「GOLD」は割と一貫してたかな、と思うけど、金ピカの寺をステージに建てる理由にしては弱いかも。その縁を電飾で囲って虹色に光らせる理由にはもっとならない。ていうか、寺と蛇と海賊船を組み合わせることってあんまりない。だけど、YOUNGもOLDもGOLDもごちゃまぜに、派手で楽しく面白く、イケてるツアーだったと思う。

衣装も、割と統一感を脇の方に避けて組み立てられているものが多い気がするし、振り付けもシンクロさせることにはコストを割いていなさそうだ。歌声も六人六色、かなり聴き分けやすいと思う。とにかく、そうやってバラバラのままでいることが似合う人たちなのだ、SixTONESは。

ライブというのは、観客と時空間を共にする場だ。だけど、会場が大きくなればなるほど、座席によって、あるいは個人のバックグラウンドによって、見えるものに差が出てくる。同じ表情、同じ曲、同じ演出を見ても、感じることは違うし、考えることももちろん違う。見えているものすら、同じことの方が少ないと思う。その中で、重なり合うわずかな部分が共鳴を生み、一体感を生み、そのうねりが熱狂となる。だからこそ、大抵のエンタメはその重なり合う部分を厚く、広くするようなわかりやすさを含んでいると思う。

映画やアニメのように見せるビジョンが明確に打ち出されているものだと、多くの人に近しい記憶や印象を持たせやすい。ライブにおいても、オープニングや曲間の映像は効果的な演出だと言える。広い会場にいる全員が共有するビジョンがあると、コンセプトやメッセージが一気に伝わりやすくなるからだ。

ライブを通して物語を紡ぐ構成・演出も、似たような理由で効果的だと思う。ストーリーを乗せることで、記憶に留めておきやすくなるし、それはつまり伝わりやすい形であることと同義だ。曲に文脈をのせることもできるし、その分その場にいる観客の情報量が揃いやすくなって、驚きや感動が重なりやすくなる。

映像も、ストーリーを用いる構成も、観客がライブから受け取るものをステージ側によってパッケージングする演出だと思う。もちろん、それをどう楽しむか、どう受け取るのかは観客に委ねられているけれど、演者側の意志が伝わりやすい演出であることは間違いないだろう。だからこそ多くのライブコンテンツで使われているわけだ。

翻って、SixTONESのライブには、映像がほとんど出てこない。衣装替えの時間は音と照明で繋がれるし、オープニングも大抵、名前が出てくる程度のシンプルなものだ。「Mr.ズドン」と「ラ・ラ・ラ・ラブストーリー」の導入部分以外には、ストーリーらしいストーリーもない*2。あの場所で、物語や言葉は削ぎ落とされて、そこには音と光とSixTONESだけがある。

一見オラオラタイプと思われがちなSixTONESだけど、自分だけを見てほしい、というギラつきとは案外遠い人たちだと思う。パフォーマーとしては目線を奪うこと、自分を魅せることもしているのだけど、構成や演出においては不思議なくらい自分たちに視線を集めることをしようとしない。その場を楽しんでほしい、音楽を満喫して帰ってほしいという意図がビシバシ伝わってくるものばかりなのだ。映像や言葉をあまり使わないのもそうだし、セットや照明にもそういうところがあると思う。例えば直近ツアーである「YOUNG OLD」、ライブ会場に足を運んだ人たちの多くが「デカい金ピカの寺が建っていた」という話をしていた。あるいは「目が光る蛇がいた」とか、「海賊船だった」とか。セットが盛り沢山すぎて、見逃したものがある人もいるんじゃないかと思う。「SHOCK ME」はめちゃくちゃ踊っているのにダンスがあまり印象に残らないくらい特効が派手だった。途中、スモークを焚きすぎて本人たちが見えない部分もあった。

何が言いたいかというと、本人たちのパフォーマンスに並ぶくらいインパクトのあるセットを組んで、同じくらいド派手な特効をぶちかますのがSixTONESなのだということ。SixTONESだけを目立たせたかったら、そんなセットは組まない方がいい。特効も、もうちょっと控えめに、本人たちに被らない位置に、もしくはもっと6人を目立たせるようなやり方で、使った方がいいのかもしれない。サングラスだってない方が顔がよく見えるし客席も盛り上がるのかも*3。でも、邪魔なくらい派手なセットと特効に彩られたSixTONESのパフォーマンスは文句なしにアツくてカッコよくて、私の目を奪う。セットも特効も衣装もサングラスも、それだけで存在感があるけれど、SixTONESを鼓舞して、燃え上がらせる燃料にすぎないことがわかる。ゴテゴテに盛りまくった、引き算なんて知らないようなステージで、それでもやっぱり主役はSixTONESなのだ。火事と見紛うくらいの炎を焚いて、その中で踊る6人がどれだけ楽しそうだったか。360度ステージのド真ん中、観客に背を向けて、肩を組んで、こっからを歌い上げた6人が、どれだけイキイキしていて、どれだけ私たちの心を掴んだか。見たこともないデカいサングラスをかけて、本気でカッコつけて出てきてくれるSixTONESが好きだ。マイクを握りしめて、汗だくになって、MCで輪になって座り込んで、私たちが好き勝手楽しめるようなライブをきっちり完成させてくるSixTONESが好きだ。俺らは好きに楽しんでるよ、そっちも好きにしていいんだぜ、とでも言いたげなライブが好きだ。これだけ理屈を捏ねたけど、言いたいことはひとつだけ。SixTONESのライブは最高だ。私の好みとは違うはずなのに、ずっと楽しくてずっと飽きない、SixTONESと色濃く名前が刻まれたようなライブ。自分たちの楽曲に誇りと自信を、プライドを持っていないと作れないライブ。新しいやり方を開拓することに貪欲で、楽しむことと楽しませることをどっちも譲らないSixTONESのことが、カッコよくて好きだと思う。この先もきっと、ずっとそう。

 前半、スタンダードだと私が思う演出について好き勝手書いたけれど、盛り上げて、楽しませて、感動してもらうというのはなかなか難しいことだと思う。当たり前だけど、ストーリーがあれば、あるいはコンセプトがわかりやすければ、面白いとは限らない。面白ければ盛り上がるというものでもなく、盛り上がったから感動するというものでもなく、もっと言うなら良いライブだから客が集まるということもないのだ。良い演出ってもう正直出尽くしているのではないか、と私は思ってしまうから、貪欲に"自分たちだけの"やり方を追い求めるSixTONESの在り方が眩しい。書けば書くほど無性にSixTONESのライブに行きたくなってくる。はやくツアー発表されないかな。

SixTONESが今後、映像や自分たちの言葉を使うとしたら、どんなライブを作るのだろう、とときどき思う。それはそれで、やっぱりSixTONESらしい、SixTONESだけのライブになるのだろう、と思う。つまりは、SixTONESが見せたいものが私の見たいもので、私にとっての"SixTONESらしさ"なのだ。SixTONESが私に教えてくれたライブの楽しみ方というのが間違いなくあって、その濃い部分みたいなものはこれからも揺らがない気がする。これからも毎年、今年のSixTONESは何するんだろう、乗り物はなんだろう、ステージどんな形だろうって楽しみにしていけたらこんなに嬉しいことはないです。まだ見たことのないスタジアムのSixTONESも、周年のSixTONESも、6人が楽しくて観客も楽しい最高のステージをやってくれますように。あわよくば、私がそこに立ち会えますように。

私が見ているSixTONESのカッコよさ、在り方とかなり近い曲が「SPICY」なので、お気に入りの歌詞を引用して終わりたい。これからもスパイシーで自由で、もてなし上手なアイドルでいてくれたら嬉しいな。

You want it spicy? I'll leave you cravin'

Trust me and don't think twice

お望みのまま

 

 

*1:これについてはそもそも本人たちの演出ではないけど、6人の意向のウェイトが当時とは違うという意味合いで書いた。本当にいらない演出だったと思う!

*2:パッと思い出せたのがこの2つなだけで、もうちょっとあるかもしれません

*3:ステージ照明って眩しすぎるからちょっとでも目を守って欲しいという気持ちも込みで、私はサングラスをかけているSixTONESが好き

でもここにある

SixTONESを好きになって、好きな人の話をするアカウントをつくろうと決めたときに、何か方針を定めようと思った。公開アカウントで、実際に生きている人の話をするうえで、見失いたくないことは何か、考えたときにたどり着いたのがこの歌詞だった。

リクツじゃなくて  ムチュウになって

こんなキモチ嘘じゃない

疲れたままの  心潤して走ろう

ハダシの未来 / 嵐

私は見栄っ張りで頭でっかちだから、好きなものの話をするときに常に「これが好きだと言うことでどんな人間だと思われそうか」ということを考えてしまう。それ自体はしょうがないし、大した問題ではない。問題なのは、その見栄が「好きでいることで正しくなれる存在を好きでいたい」にすり変わることで、「好きだから正しいはずだ」に転じてしまうことだ。

正しさの定義は、幼い頃思っていた何倍も難しい。イコールで結べるようなものでも、ボーダーを引けるようなものでもなく、曖昧で、掴みどころがなくて、日々変わっていくのが当たり前の、何の頼りにもならない軸だと思う。だからこそ「絶対的に正しい」が欲しくなってしまう瞬間がある。この人なら、このコンテンツなら、と体重を預けて楽になりたいと思う。というか、楽をしている部分は正直ある。「私の好きなものに間違いはない」って言いたいし、そうであってほしいと思っている。

知らないことがあることにどこかで怯えているのか、年々好きなものが増えていく。今でも知識や見ている世界は偏っていると思うけれど、少なくとも数年前の自分よりは視野が広がった今、「こんな人他にいない」は大抵の場合幻想だと、そう思う。歌が上手い、ダンスが上手い、ショーが上手い、演技が上手い、顔立ちが整っている。ファン思い、トンチキ、全力、グループのバランスがいい、仲がいい、曲がいい。そういう奇跡みたいな美しさは思っていたよりずっと、この世にありふれているらしい。「他は絶対こうじゃない」というロジックで自分の好きな人やものを褒めようとしている言葉を見るたびにしんどくなる。その要素、他でも絶対見つかるよ、と思う。そんな褒め方しなくたって、あなたの好きなものとその気持ちは否定されたりしないのに。

その一方で、「こんなグループ他にない」「こんな人は他にいない」と言いたくなる気持ちを大事にしたい、という思いもまた切実だ。「私にとっては」そうであることは疑うべくもない事実なのだから。他の人にとってもきっとそう。ここにしかないものって、絶対ある。でもそれは、客観に求めるべきことじゃなくて、主観の中にあるものだと思うのだ。私は私の好きなものが「私にとって唯一無二」だという話をしたいし、そういう話が聞きたい。私のブログや日記を読んでいる人はわかると思うけど、私はずっと「私が見た好きな人」「好きな人を見ている私」の話をしている。これでいいのか、と思うときもあるけど、霞のような客観に頼るよりずっといい、と今は思っている。

これだけ主観が云々話しておいてなんだけど、生身の人間は私と同じ社会で生きている人なわけで、フィクションだって現実世界で作られたもので、主観の話だけに集約してしまうのはすごく危ういのではないかとも思う。私と好きな人だけの世界は存在しない。同じ社会で生きている大人としてこうあってほしい、客観的に見て「間違った」ことをしないでほしい、という気持ちは捨てきれない。私の中で希望や未来に近いところにいる人が、誰かを傷つけるようなことを言ってしまうのは悲しい。もし、「間違えて」しまったとしたら、どうかそれを機に認識を改めてほしいと思う。好きだからしてほしくないことって、いっぱいある。好きでいたいからやめてほしいことだっていっぱいある。批判も訂正も、好きだからしたい。だけどそういう期待や好きの気持ちを相手に被せすぎてしまうことはしたくない。あくまで祈りとして留めておきたいけれど、黙って見過ごすこともしたくない。わがままで矛盾していると思うけれど、大事なことだとも思う。

リクツじゃなくてムチュウになりたいと思っている。ありふれているものだとしても、ここにしかない奇跡だと思わせてほしい。私はそうさせてくれる人やコンテンツが好きで、一度好きになったものを手放したり諦めたりするのが苦手だ。だから、ムチュウになったその気持ちも、それを続けるためのリクツも、どっちも抱えていられるように、ろくろを回し続けるしかないのだと思う。