原作厨の一人言

レガシー発売に伴って映画を見返してる人々をお見かけしたことで、映画もいいけど原作も読んでくれ!!妖怪の人格が活発になってしまったのでハリーポッター原作読めブログを書いています。

ハリーポッターいちばん面白いところのネタバレがほぼ全部含まれますので、未読の方はこんなものは読まずに原作に目を通すことをおすすめします。Kindle Unlimited(月額980円)で全巻読めますので……

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当たり前ですが、このブログは100%個人的な好みと解釈によって構成されていますので、気が合わなそうだなと思ったら迷わず閉じてください。よろしくお願いします。

はじめに

ハリーポッターという作品は全巻通して「愛」「死」それから「選択」の三つが軸となって展開されています。

「愛」と「死」は相対する概念として扱われます。「愛を知らずに生きることは死ぬことよりも恐ろしい」ことで、ハリーの宿敵・ヴォルデモート卿は「愛を知らずに生きる」キャラクターとして描かれています。ヴォルデモート卿がハリーに打ち負かされる過程で、彼にとっての不測の事態は数多くあり、その多くは「愛」に対する無理解によるものでした。例えば自分が操っているつもりだったスネイプの、リリーへの愛。例えばハリーが死んでいることを確認させたナルシッサの、息子ドラコへの愛。ヴォルデモート卿が理解し得なかった「愛」によって彼は敗北して「死」に追いやられるのです。愛のみが死に勝るというのがハリーポッターシリーズの一貫したドグマであるといえます。

それから、「選択」。どんな親から生まれたか、‪どんな家庭で育ったか、よりも、どんな生き方を選んだか、がその人の人となりを表すというのが一貫した価値基準になっています。一度間違えても、その後の選択でその名誉を取り戻せる。こうした道徳観は、セブルス・スネイプの描写に特によく現れていると思います。原作軸では「正しさ」そのもののような立ち位置に据えられているアルバス・ダンブルドアに関してもそうです。私のこの解釈を前提としてこの文章は進めていきたいと思います。

組み分け

ハリーポッターをよく知らない人でも「スリザリンは嫌だ」というセリフは知っているんじゃないでしょうか。組み分けはハリーポッターシリーズの中でも特に面白い概念だと思います。ホグワーツ魔法魔術学校に入学した生徒は、魔法の帽子・組み分け帽子によってその素質を判断された上で4つの寮に組みわけられ、その寮で7年間生活します。

グリフィンドールが善/スリザリンが悪の二元論で語られがちですが、寮に貴賎はないということも書いておきます。主人公であるハリーはグリフィンドールで、なおかつ彼の近くには筋金入りのグリフィンドール血筋であるウィーズリー家がいるので、本編で語られる各寮の印象はどうしても偏ってしまいます。ただ、それは子供が抱いている偏見がそのまま反映されているだけだということは強調しておきたい。舞台呪いの子では印象がガラリと変わるような描写がされていますし、どの寮も一長一短です。

まず改めて述べておきたいのは、ハリーポッターは選択を重んじる物語であるということ。つまり、組み分けにおいても、本人の素質だけではなくその人の選択がちゃんと加味されるということです。実際、先程述べた「スリザリンは嫌だ」というハリーの意志によって、ハリーはグリフィンドールに組み分けられます。どんな自分になりたいか、はっきりと意志がある場合は必ずそれが尊重されるのです。ただ、入学段階の子供でそこまで意志がある子も少ないでしょうし、大抵は伸びそうな才能を見分けて組み分けられるものだと私は解釈しています。

さて、肝心の寮の特性について私の解釈を述べたいのですが、長くなりそうなので先にわかりやすいオススメのブログのリンクを貼っておきますね。

ホグワーツ組み分け大解剖(2) 寮同士の対立をみる - Majologsayonaky.hateblo.jp

 

グリフィンドールは勇気をば 何よりもよき徳とせり*1

グリフィンドールが「勇気」を掲げるのは、グリフィンドールが広い範囲の世界や人を救うことを是とする寮だからです。自分や友達、家族だけではなく、場合によっては敵も含んだ全ての人を救うために自分を捧げて闘うことが何より素晴らしいという価値観。それをめちゃくちゃ簡単にまとめると「勇気」になるわけです。そういう意味で、ヴォルデモートを止めるために自分が殺されることを選んだハリーは文句無しにグリフィンドールですよね。騎士道、ヒロイズムといえば聞こえはいいですが、自分本位な傲慢さとも紙一重なところがあり、お調子者が多い寮でもあると思います。

力に飢えしスリザリン 野望を何より好みけり

その真逆に位置するのがスリザリン。スリザリンにとっていちばん大切なのは、自分の世界を守ること。その範囲は家族であったり、組織であったり、自分だけだったりするわけですが、とにかくそれが守れれば後のことはどうでもいいのがスリザリンです。その「野望」のためなら規律や他人は蔑ろにできる強さがあります。これが強くなりすぎると、自分たちさえいい思いが出来れば良い、という身勝手さに繋がります。そしてその身勝手さが加速すると、倫理観さえも無視できてしまうので、結果的に闇の魔法使いが誕生する。だからスリザリン出身の闇の魔法使いが多い、というロジックだと私は解釈しています。友達間のノリで軽犯罪やりがち、だけど家族とか友達はめっちゃ大事にするヤンキーみたいな。サラザール・スリザリンに激怒されそうな例えですが。血筋を重んじる傾向が排他的な性質を増幅させたのかなと負います。私見ですが、スリザリン推しの人が多いのもこういう特性によるものだと思います。大切な身内を守るためなら何でもする、ってオタク受け抜群の特性なので……

レイブンクローは賢きを 誰よりも高く評価せり

レイブンクローはスリザリンと近い内向性を持つ寮です。ただ、興味の対象が俗世から離れていることが多いのでスリザリンと比べて闇堕ちが少ない(あるいは実害があまりない)のかなと思います。勉強熱心というよりかは好きなものに対するエネルギーがデカすぎてひとつのことに延々取り組むのが苦じゃない、という感じ。そのために、頭ひとつ抜けて「賢い」人が多いのではないかと思います。一点集中型ゆえに世間知らずだったり、ちょっと思いやりに欠ける言動があったりする場合もあります。あと、レイブンクローのキャラクターが物語の中にあまり登場しないのも、彼らが自分の世界に没頭しているからなのかもしれないですね。

ハッフルパフは勤勉を 資格あるものとして選びとる

最後にハッフルパフ。グリフィンドールに近い外向性があります。レイブンクローが天才だとするなら、ハッフルパフは努力に基づいた秀才だと言えるでしょう。社交的で「勤勉」、実用的なものを好む優等生の寮です。堅実で、どちらかというと規律に大人しく従うタイプ。しかし、こうした特性は没個性的でもあるため、ハッフルパフは劣等生が多いと言われてしまうことが少なくありません。実際は劣等生より優等生が多いのではないかと思います。絶対グリフィンドールの方が問題児が多いでしょ。

セブルス・スネイプについて

前述したスリザリンの特性の権化のようなキャラクターがスネイプです。スネイプは学生時代の友人たちと共に闇の魔術に傾倒していて、そのままヴォルデモート卿の手下・死喰い人になりました。彼の「身内」はほとんど同じ寮の人たちだったわけです。そんな彼にはずっと思いを寄せ続けた相手がいました。それがリリー・エバンズ(のちのリリー・ポッター)です。グリフィンドールでマグル生まれ、闇の魔術には断固反対というスネイプとは真逆の人でしたが、彼は彼女に惹かれ続けていました。そのため、リリーのことも自分の大切な人として位置付けていたわけです。しかし、スネイプがヴォルデモート卿に伝えた予言によって、リリーは家族もろとも殺されそうになります。リリーを見逃すようヴォルデモートに頼んだもののほぼ取り合って貰えず、リリーが殺されるかもしれないことに耐えられなかったスネイプは恥を捨ててダンブルドアの元へ行き、「あの人を助けてください」と懇願します。何でもする、ヴォルデモート卿のことも裏切る。大嫌いなジェームズ・ポッターを庇うことになったとしても構わない。とにかくリリーに生きていてほしい。非常にスリザリンらしい利己的な感情ですよね。結局計画は上手くいかず、リリーは殺されてしまいましたが、彼は死ぬまで彼女の遺した子供を守ることに尽力しました。

このエピソード自体は有名ですし、こうした面を知ったことでスネイプのことを好きになった方も多いと思います。ただ、「スネイプは実はいい人だった」という言い方は非常に雑で、不適切なのではないかと私は常々感じているのです。因縁深すぎるハリーのことは一旦置いておくとして、マグル生まれであるハーマイオニーを不当に虐めていたことは繰り返し描写されていますし、血統に関する差別的な発言も少なくありません。リリーに決別されたときから、彼の価値観は何も変わっていないのです。マグルにいい人だったと持て囃されていることに一番苛立っているのはスネイプ本人だと思います。知らんけど……

確かに映画のスネイプは素敵なんですが、それはアラン・リックマンが素敵で原作のゲスすぎる言動がことごとくカットされているからだと思うんですよね。スネイプはどんなに人を愛しても変われなかったけれど、それでも死ぬまで愛を貫いたところがカッコいいんですよ。差別も虐めも生涯やめられなかったのに、自分の嫌う属性を組み合わせてできたような女性を愛することもやめられなかったところがいいんです(厄介オタク)

加えて、ネットでよく見る、スネイプよりもハリーの父親ジェームズの方がいじめっ子でヤバい的な言説に関してですが、これも先述した「選択」につながる話だと思います。学生時代、ジェームズがスネイプをいじめていたことは紛れもない事実で、ジェームズが見栄っ張りで浅はかだったことは間違いないと思います。それでも、彼は自分で自分の過ちに気が付いた。反省して、不死鳥の騎士団として闇の陣営と闘う道を選んだ。成長してからは「易き道よりも正しい道」を選択し続けたからこそ、リリーに選ばれたのだと思います。リリーにとってはどちらも論外だった(なんならセブルスの方には情があった)状況から、変われないまま大人になって彼女を殺す一手を選んでしまったスネイプと、変わって彼女に選ばれ、彼女を守ろうとして殺されたジェームズ。その後の「選択」を認識していれば、ジェームズよりスネイプの方がいい人だ、なんてことは言えないんじゃないでしょうか。リリーを殺したのはもちろんヴォルデモートだけど、それを確定に至らせる一手は間違いなくスネイプが選択したんですよ。そして彼はリリーを守って死ぬことでその過ちを清算することも叶わなかった。哀しい人ですよね。普通にジェームズ単体で好きになれないという人には何も思わないけど、スネイプと比較されると反論したくなってしまう。

ダンブルドアについて

話は飛んで、私の敬愛するダンブルドアの話に移ります。賢者の石の最後に、ダンブルドア校長がハリーの健闘を評価してグリフィンドールに大幅な加点を行い、結果グリフィンドールがスリザリンに逆転勝ちするシーンがありますよね。定期的にこのダンブルドアの加点を「贔屓」「スリザリンが可哀想」とするツイートがバズっている印象があるのですが、これにもいろいろ口を挟みたい。

まず大前提として、原作と映画ではハリーの学校生活の描写がだいぶ違うと思います。原作のハリーは賢者の石のことを探る過程でだいぶ校則を破り、度重なる失点によってグリフィンドール生からめちゃくちゃ嫌われるんですよね。どのぐらい嫌われていたかというと、ロンのお兄ちゃんである双子のフレッドとジョージでさえハリーとは目を合わせなくなるくらい。元々有名人だった分その反動は大きくて、1巻後半のハリーにとってホグワーツはまさに針のむしろだったわけです。ついに賢者の石の真相にたどり着いたハリーは、退校になるからと止めるロンとハーマイオニーにヴォルデモート卿が復活したら退校もクソもない(ニュアンス)と反論し、退校になる、なんなら死ぬ覚悟で賢者の石を守りに行きます。たった12歳の子供たちが、平和を守るために必死に闘うんです。そして、ヴォルデモート卿の片鱗に見事打ち勝った。魔法界を守った功績はもっと大っぴらに表彰されてもいいくらい大きなものなので点数はむしろ少ないくらいだと思います。校則破ってマイナス5点とかですよ。世界中の平和を守って60点は少ないでしょ。

みんなの前で点を貰って称えられることで、ハリーは名誉を完全に回復するので、そういう意味でもこのイベントはストーリー上絶対必要だったと思います。ずっと歯がゆい気持ちで物語を読んできた身としては、あの瞬間のカタルシスは最高だったし、あれがなかったら読後感がだいぶ悪いことは目に見えているので……非難されても仕方ない点があるとすれば発表のタイミングですが、フライングしてグリフィンドールの飾り付けにしておくのはやりすぎだし、ハリーがずっと医務室に入院していたので加点を早めるのも難しかっただろうし、どうしようもなかったんじゃないかな……正直、私は明確にダンブルドア贔屓なので反論があれば甘んじて受けいれますが、総じてあの加点は妥当だったと言えるんじゃないでしょうか。

このエピソードから派生して、ダンブルドアはハリーを贔屓してたとかグリフィンドールを贔屓していたとか言われがちですが、これもツッコミどころ満載です。ダンブルドアがグリフィンドールを贔屓してたなら、ハリーの入学前の六年間連続でスリザリンが寮杯を勝ち取ることはなかったでしょうし、贔屓はよくないと言うなら不当にグリフィンドールから減点してスリザリンに加点しまくるスネイプの批判をまずして欲しいですね。「きみに負担をかけたくなかった」からハリーを監督生にしなかったと語るダンブルドアを知っていればハリーを贔屓して加点したなんて言えないはずだし、そういうダンブルドアの性質を加味するとむしろ、ハリーが反感を買わないように贔屓して点数を少なめに見積ったんじゃないかと思います。ダンブルドアのことを神か何かだと勝手に思い込んでちょっとした粗を叩くのはやめてくれ(本音)

おわりに

キャラの悪口言うならその前に原作読んでください、というだけの内容に6000字も書いてしまいました。総じて映画の悪口みたいになっちゃったけど、映画も好きだしスネイプもまあまあ好きです。ただ原作に辿り着いてない人が大好きなダンブルドアの悪口を言ってるのが許せないだけなんです。

映画でカットされてるシーンが多いとか、印象が違う部分があるとか、そういうのもあるんですけど、ハリーポッターってやっぱり面白いんですよ。ハリポタの映画が好きな方なら(そして映画だけで話を理解できる理解力の方なら)原作絶対面白いと思うんです。お節介なのは重々承知ですが、知らないのは勿体ないから是非読んで欲しい。児童書なので文も易しいし、ブリティッシュなブラックジョークがいいテンポ感を演出してるので、見た目の分厚さの割に読みやすいと思います。ちょっとでも興味あったら好きな巻だけでもパラパラして欲しいです。

それから、赤坂でロングラン公演中の舞台「ハリーポッターと呪いの子」もよろしくお願いします。ハリポタ本編の話を知ってても知ってなくても楽しめる最高の魔法の世界です。ストーリー自体はハリポタの影の要素が強いのでそこも面白いです。ハリー役が錚々たる面々なのでミーハー心も満たせます。向こう数年はやってるはずなので、今すぐには難しい方もぜひ、心の片隅かブラウザのブックマークにでも留めておいてください。

舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』 | 公式サイトwww.harrypotter-stage.jp

映画派の方々を否定したいわけではないということを最後にもう一度書き添えておきます。映画のワクワクする世界観と映像は素晴らしいですし、キャラもキャストも魅力的です。それに、USJのハリポタエリアやとしまえんの跡地にできる施設なんかは基本映画準拠なので、正直原作を読んでなくて困ることってないと思うんです。だけど、誰一人完全な善人はいないリアリティと、フィクションの華やかさが絡み合うハリーポッターが楽しめるのは原作だと思うから、やっぱり私は原作を薦めたい。それと、活字で読んだ方が情報が自分のペースで取り込めるので、情報量の多いハリポタは原作の方が理解しやすいのではないかと思います。

これを読んで原作触れてみようかなと思ってくださる人が1人でもいたら、それに優る喜びはありません。冗長な文章にお付き合いくださり、ありがとうございました。

 

 

 

 

*1:以下引用する文言はすべて「ハリーポッターと炎のゴブレット」組み分け帽子の歌より抜粋