内と外

最近、自分の強すぎる自我や、欲求のことばかり考えている。私は自分含めた人間のことに偏った興味を持ちがちなので、自己分析的なことはもともと大好きだ。就職活動をする過程でやった自己分析はかなり楽しかったし、占いやおみくじ、イメコンとかも同じ括りの好き。プロフィール帳を書くとか、クラスメイトが書いてくれた朝のスピーチの感想を読むとか、好みのタイプの話をするとか、そういうことが好きなのも自分に対する興味なのかもしれない。

他人にも興味津々だし、だからこそアイドルのオタクをやっているわけで。だけど、誰にでも興味があるというよりかは、特に興味のある人に対する知りたい欲が強すぎるだけ、とあらわす方が適切な気がする。それを許容してくれるだけでなく、私が干渉しようのない位置に存在し続けてくれるアイドルは私の強すぎる欲求をいくらか鎮めてくれる。

興味のある他人のことを知りたいし、その相手に自分が影響したいと思う。他人をコントロールしたいとずっと頭の片隅で思っている自覚がある。それがすごく嫌で、でも思い出せる範囲でそうでなかった時期なんてなくて、生まれながらにそうだったんだろうと諦めざるを得ないところもある。最近はそういう自分を前ほど拒絶しなくて済むようになってきた。自分の欲求の形を少しは知れたからだと思う。

とはいえ、自分の中のいちばん強い欲求が「他人を思い通りにしたい」なのは嫌だなと思う。役に立ちたいとかいい方向に導きたいとか、比較的ポジティブな「思い通り」もあるんだけど、そうじゃなくて、相手を言い負かしたいとか、自分を正しいと思ってほしいとか、そういう「思い通り」は何だかカッコ悪い。理性で抑えてはいるつもりだし、抑制できている場面の方が多いと思っているけれど、心に常にそれがいることを私が誰よりも知っている。自分にできることをする前に、人にあれこれ求めたがるのは私の価値基準ではかなりダサいことだし、放っておくとそうなってしまう自分にたまに絶望する。

だから、私が好きになるのは他人をコントロールしたいという欲が薄そう、あるいはそれを飼い慣らしているように見える人ばかりだ。他者に踏み込みすぎずに、自分の領域を守れる人。他者に迎合することなく、自分を曲げず、だけど社会生活にも適合できて、なんなら楽しめてもいる(ように見える)人に憧れる。そういう人がそれでもこの人だけは必要だと特別扱いをするのにも、憧れる。こういう憧れはアルバス・ダンブルドアを好きになった小学生のときから変わらなくて、一生そういう人を好きになり続けるんだろうなと思う。私にとってそれは恋愛対象でもアイドルでもキャラクターでも同じことなのだ。

そういう憧れの対象が身近にいると、この人の眼中に入りたい、何なら影響を与えたい、私が影響してもなお変わらないところを見たい、という欲望がどんどん肥大してしまう。結局どこまで行っても私は他人をコントロールしたがる質で、コントロール対象として手応えのありそう人が好きなのかもしれないと思うとかなりげんなりする。アイドルに対してはコントロール欲が湧かないので、アイドルのことを考えている間は自己嫌悪から解放される。

京本さんは、私の憧れる生き方をしているように見える。自分のやりたいことを諦めず、実現するための行動は惜しまず、他人に対して求めすぎないのにちゃんと信頼をおいている。ジェシーさんほどグイグイ行かないまでも、気が合う人とはちゃんとコンタクトをとるし、自分が続けたい関係性を丁重に扱う人だなと思っている。いじったり貶したりしないわけではないけれど、ベースにあるのはリスペクトや好意で、褒めることに衒いがなさそうで眩しい。カッコいいなと思う。

私は1人で考えて1人で行動して満足したり満足しなかったりしているばかりで、相互的なコミュニケーションをできていない場面の方が多いのかもしれない。そのくせに他人に干渉したがるなんて最悪のコンボだと思う。1人で考えすぎてしまうのは止められないし、独りよがりを根絶するのはそもそも無理だろうけど、ちゃんとそれを外に出す作業をやった方が迷走しなくて済むということを、最近やっと理解し始めた。そうしないと、どんどん思考が固まって偏って、あらぬ方向に転がって、止められなくなってしまう。他者と関わらないで生きていくことはできないのだから、内側でじくじく腐らせるより空気や陽にあててあげる方が健やかだ。

好意は言葉にした方がいいし、感謝も謝罪も惜しまず伝えるべきだ。自分の気持ちも考えも、言葉にしておかないと忘れるし、自分に改ざんされてしまう。そう思うと、他人に気持ちを伝えよう、他人の気持ちを理解しようと思ったらもっと誠実であらねばならない。まずは自分に誠実であらねばならない。そう思いつつ、また私はブログという閉じた場所で言葉をいじくっているわけだが、それでも、少しずつでいいから、内と外との行き来を滑らかにしていきたいし、外のものに怯えすぎないようにしたい。自分の柔らかいところを守りすぎて損なわないようにしたい。憧れる人たちのようには生きられずとも、他人にも自分にも誠実な人生を少しずつ育てていきたい。